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ニワノトリ

ハロプロ、大森靖子さん、宇多田ヒカルさん、amazarashiなどのJ-popの楽曲レビュー・考察、ライブレポなどを書いているブログです。カテゴリ「このブログについて」に記事のまとめと更新情報があります。ご連絡はTwitter:@ok_take5、メール:tori.niwa.noあっとgmail.comまで(http://n1watooor1.exblog.jp/は愚痴用になりました)。

月に負け犬とエンドレスダンス/大森靖子「エンドレスダンス」@『絶対少女』の感想

大森靖子 絶対少女 楽曲感想

大森靖子『絶対少女』の感想を一曲ずつ書いて行っています。 → 絶対少女 - ニワノトリ

 

今回は三曲目の『エンドレスダンス』の感想です。

**

大森靖子椎名林檎にも影響を受けているらしい。
という情報を聞いたことがあったためか、この曲を聞いていると椎名林檎の「月に負け犬」という曲が連想されて、私はこの曲を聞き終わった後すぐに、Walkmanに入っている椎名林檎の『勝訴ストリップ』のジャケットを探しました。

椎名林檎でもなく浜崎あゆみでもなく、断然、宇多田ヒカル派の私ですが、それでも、1980年代後半生まれ(なんなくぼかす)必修科目として、私だって椎名林檎東京事変もそれなりには聞いているのである……。




「月に負け犬」という曲は

  好きなものや人が多すぎて 見放されてしまいそうだ

というインパクトある歌い出しで始まるのですが、「エンドレスダンス」は、そんな「月に負け犬」という曲と、真逆な曲だと思う。







『エンドレスダンス』の歌い出しは、


  きらいきらいきらきらきらい 


このフレーズは曲の中で幾度も繰り返されるのだが、このフレーズが歌っているように、この曲では、「きらい」になったり、「好きじゃなくなった」り、何かを「見放す」場面がたくさん歌われている。


  ギャラ安くても言えなかった
  がんばっても変わらなかった
  新人のレジかわいかった
  もう好きじゃなくなったのかな♪



きっと、この曲の主人公は、最初はもっと期待していたのだと思う。
もっと「ギャラ」をもらえる(≒評価してもらえる??)んじゃないか。
がんばれば変わるんじゃないか。
他人にも自分にも期待してたんだと思う。
でも、そういう「期待する気持ち」はあっさり裏切られて、ギャラは上がらず、何も変わらなかった。
この部分の歌詞はそういう「裏切り」にいつまでも囚わ続けないように、「あんな人、もう好きじゃないもんね」と歌って、吹っ切ろうとしている。ように聞こえる。


私は、今、割と「何を」好きじゃなくなったのか、具体的に聞こえるような気がする歌詞を取り出しながら上記の文章を書いた。

けど、この曲で6回出てくる「もう好きじゃなくなったのかな」というフレーズは、基本的に、「何を」「誰を」好きじゃなくなったのか、結構漠然としていてよく分からない。
「もう好きじゃなくなったのかな」という歌詞は、オレンジジュースに小バエがつっこんだ、新人のレジがかわいかった、スタバよりいい店がみつかった、引っ越しのことが片付いた、そんな日常生活の風景の中に、時折、ぶり返すように顔を出すだけだ。

「大 学生にやられちゃった」「ため息もギリで引っ込んだ」といった、何かを「きらい」になるきっかけだったのかな、と思えるような出来事もところどころで歌わ れているのだけど、それはいつのことで、そのことにどんな風に感情を乱されたのか、そうした出来事に対して歌詞の中で特にコメントはない。

こ の曲が大切にしているのは、どうやって「好き」という気持ちを「手放す」のか、「手放す」、あるいは、「見放す」という行為であって、いかにあいつが嫌い なのか、いかにあいつを好きだったのか、自分が相手に差し向ける感情の中身については極力、興味を持たないようにしている。
その見放し方も、「「きらきら」きらい」と言っているくらいなので、「ふざけんな、死ね」みたいな見放し方ではない。
この曲のリズムは、ずーっと、「何か気づいたら好きじゃなくなってたわー」というくらいのゆるいテンションを保っている。

というか、保とうとしている。

例 えば、上に引用した歌詞で面白いのは、やっぱり唐突に出てくる「新人のレジかわいかった」で、この曲は、「ギャラ安くても言えなかった」「大学生にやられ ちゃった」というような、思い出すだけで気持ちが耐えられなくなるような出来事と、「新人のレジかわいかった」「ママに元気だと電話した」みたいな日常生 活の平穏で心温まるような出来事が入れ替わり立ち代わり歌われる。

そういう嫌な記憶と日常生活の交錯を見ていると、この曲は、自分が積極的に何かを嫌ったり、捨てたり、見放したりする瞬間を歌っているのではなくて、何かを「見放せる」瞬間を待ち、探している、そんな様子を歌った曲なのかな、と思う。

「新人のレジかわいかった」「スタバよりいい店みつかった」みたいな出来事をきっかけに、気持ちを吹っ切れるんじゃないか。
きっかけにはならなくても、そんな平穏な出来事を積み重ねているうちに、いつの間にか、「嫌い」になったり「好きだった」り、そんな
執着心を捨てられるのではないか。

この曲の中では、そんな淡い期待と、ぶり返してくる強烈な思い(「あんなに好きだったのに」「あいつなんて嫌い」というような)が、日常生活の中でせめぎ合う様子が歌われているような気がする。






この曲は、かつて好きだった何かを見放し、自分の中の「好き」という気持ちを、誰にも、自分にもばれないようにそっと、一つずつ捨てて行く……というか、捨てようとする、そんな様子を歌っている。
あくまでも「手放す」「捨てる」というのがポイントで、この曲は、それが「嫌い」という気持ちになってしまわないように、必死に平然さを保とうとしている。

この曲で、私がいいなーと思うのは、手放そうとしているのが、「嫌い」という気持ちでもあり「好き」という気持ちでもあるように見えるところだ。

ここで、唐突に「月に負け犬」の話に戻ってみようと思う。
以下、「月に負け犬」が「エンドレスダンス」と対照的だなあ、と感じる部分を抜粋してみる。

  好きな人や物が多すぎて 見放されてしまいそうだ
  虚勢を張る気は無いのだけれど取分け怖いこと等ない
  〔…〕
  明日くたばるかも知れない
  だから今すぐ振り絞る
  只 伝わるものならば 僕に後悔はない
  〔…〕
  上手いこと橋を渡れども
  行く先の似た様な途を 未だ走り続けている
  其れだけの僕を許してよ


(かなり恣意的に抜粋しました……フルの歌詞はこちら


な んでここで急に椎名林檎の曲を持って来たかというと、大森さんが「敢えて」林檎さんのアルバムのジャケットをパロっていたりしていることからして、大森さ んは林檎さん抜きには語れないんだろうな、とは思うんだけど、私の中では、大森さんの世界観と林檎さんの世界観が、割と対照的だからです(歌詞的に)。

かなり、恣意的に曲を選んでいるので、正統な比較にはならないと思うんですけど、この「月に負け犬」と「エンドレスダンス」は、私基準での林檎さんと大森さんの世界観の違いがよく見える曲です。


林 檎さんの曲については、私の感性と頭と人生では分かってない部分が多々あるんだろうなと思うので、下記、上記に書いてることよりさらに自信ないのです が……(じゃあ、あなたは大森さんや宇多田さんについては分かってるんですかと言われると、「いいえ、全然分かっていませんすみません」ってなるんですけ ど)。

「好きな人や物が多すぎて 見放されてしまいそうだ」
「取分け怖いこと等ない」
「僕を許してよ」
「今すぐ振り絞る 只伝わるものならば 僕に後悔はない」

こういう歌詞を見ていると、林檎さんの曲、少なくともこの「月に負け犬」という曲については、「エンドレスダンス」とはベクトルが別方向だな、と思います。
「月に負け犬」は、「僕」が他者に差し向ける感情、「僕」という存在、「僕」が描く世界が中心にあって、自分で自分の感情や存在を認めるところから歌を始めようとしている(もちろん、そこにあるのは自信ばかりではなくて、不安も歌われてはいるけれど)。
「月 に負け犬」は、たとえその数が多くても好きなものは好きで、たとえ「好き」が多すぎることで誰かに/何かに見放されたとしても、「好きな人や物」に対する 「好き」という気持ちそのものを大切に抱えていて、それが「取分け怖いこと等ない」と言い切れるような揺るぎなさにつながっている。ように見える。

一方、「エンドレスダンス」は自分が他者に向ける感情に怯えていて、だからこそ、その感情を「好きじゃなくなった」という言葉に何とか集約させて、手放してしまおうとしているように見える。

たとえば、「エンドレスダンス」の

  すきなうた もうサビしかうたえない

という歌詞は、あまりにその曲を好きになり過ぎて自分が狂ってしまうことや、かつては好きになったものを好きじゃなくなってしまう「いつか」への怯えが垣間見えている気がする。

「月に負け犬」は「今すぐ振り絞」り、「只 伝わるものならば 僕に後悔はない」と、たとえ「好き」という感情が「今」だけのものだとしても、それを「今」振り絞ることに重きを置いている。
しかし、「エンドレスダンス」は、「今」がすべてではない。「好き」や「嫌い」という気持ちに自分の「今」を乱されることを恐れ、その気持ちがいつか冷めてしまうことを恐れ、「好き」でもなく「嫌い」でもない、ちょうどいい状態が「エンドレス」であることを志向している。

きっと、大森さんは「僕を許してよ」とか「僕を認めてよ」とストレートに叫ぶような歌詞は書かないのではないかと思う(他の曲で歌ってたらどうしよう……←まだ三曲しか聞いてない)
林 檎さんが歌っている「認めてよ」とか「許してよ」は、それはもう月夜の遠吠えとか叫びみたいなもので、そういう、夜闇に消えて行くであろう「叫び」や、そ んな「叫び」を抱いている自分なるものを、それでも、どうにかして、自分に、世界に、刻み付けようとしている。ように聞こえる。
対して、大森さんはそういう自分の内側から湧きあがる叫びそのものに対する疑いをどこかにずっと抱いていて、仮に「認めてよ」「許してよ」と言いたくなっても、許されるべき叫びに対して自信がないから、そんなこと言えない、みたいなものがあると思う。
そもそも、大森さんの曲は、そもそも「上手く橋を渡」ることができないところで躓いているのかな、という気がする。


きっ と、「エンドレスダンス」のゆったり感は、自分自身の中に湧きあがる激しい「嫌い」や「好き」という感情を宥めるためのもので、その気持ちを宥め、手放す ためにこそ、無理にでもゆったりとリズムを刻もうとしている。逆に言うと、この曲の下には、どろどろした感情が渦巻いていて、でも、そんな感情に巻き込ま れてたまるか、そんな報われない気持ちに私の貴重な時間を取られてたまるか、という意地がある気がする。
対して、林檎さんはそういう感情を尖らせて、洗練させて、歌にして、林檎ワールドを作り出している。

……と思うので、少なくとも「エンドレスダンス」と「月に負け犬」については、林檎さんと大森さんでは、自分の感情をどう歌に持っていくか、という方向性が違っていて、一緒に聞くと、それぞれの曲の世界観がより鮮明に見えてくる感じがして、面白いな、と思います。

 

※この記事は、http://n1watooor1.exblog.jp/ にて、2014/5/4に公開した文章の一部です。

 

 

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