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「ご結婚おめでとうございます。」/大森靖子「I&YOU&I&YOU&I」@『絶対少女』の感想

大森靖子『絶対少女』の感想を一曲ずつ書いて行っています。 → 絶対少女 - ニワノトリ

 

 

 

今回は本アルバムの最後の、曲「I&YOU&I&YOU&I」の感想を書こうと思います。

この曲の歌詞と解説はこちら 


この曲は大森さんの作詞作曲ではなく、我らがつんく♂作詞作曲、タンポポの作品のカバーです。
ハロオタカテゴリに在住していながら、私、この曲、知らなかったのですが、つんくさんらしい、いい曲ですね。

***



(「I&YOU&I&YOU&I」は4:02あたり~)

***


■「君と映画」→「I&YOU&I&YOU&I」→「絶対彼女」


「I&YOU&I&YOU&I」 は『絶対少女』の最後の曲なので、リピート再生をすると、14曲目の「君と映画」と1曲目の「絶対彼女」に挟まれることになるのだが、 「I&YOU&I&YOU&I」は「君と映画」にも「絶対彼女」にも少し似ていると思う。


  何年たっても映画を見るとき
  手をつないで感動したい
  何年たっても口づけするとき
  どきどきしてキュ~ンとなりたい



これは、「I&YOU&I&YOU&I」で二回繰り返されるサビの歌詞だ。
この部分を聞いていると、「絶対彼女」の「新しい気持ちでいようね ふつうの幸せまもるの」という歌詞が連想されるし、「君と映画」の「君と新しい人生をつくるの コピーページにはならない 君と映画」も思い浮かぶ。
な ぜなら「何年たっても口づけするとき どきどきしてキュ~ンとなりたい」という歌詞は「何年たっても 新しい気持ちでいようね」というようなことを言って いるように聞こえるし、「何年たっても映画を見るとき 手をつないで感動したい」とは、「君と映画」を見ることの大切さを、何年たっても失わないようにし たい、といっているように聞こえるからだ。


しかし、似ている一方で、「君と映画」「絶対少女」という二曲と、「I&YOU&I&YOU&I」では、「新しい気持ちでいようね」という「あなた」への気持ちへのアプローチの仕方が、大きく異なっている。


「絶対彼女」では「新しい気持ちでいようね」という気持ちは、ただそのまま肯定されているわけではない。「ふつうの幸せまもるの」と、「新しい気持ち」でいることを脅かす何かから守られようとしている。
「君と映画」でも、「君と新しい人生をつくる」という歌詞はただ希望に溢れているだけでなく、その裏側に「コピーページ」になってしまうことへの恐怖が覗いている。

このように「絶対彼女」や「君と映画」の女の子が、「あなた」への気持ちの裏に色んな不安や躊躇を抱いている一方で、「I&YOU&I&YOU&I」の歌詞は、「あなた」への気持ちに素直な確信を抱いている。
「I&YOU&I&YOU&I」では、「何年たっても」新しい気持ちでい続けて、君と新しい人生を歩んでいくことへの希望が、疑いも迷いもなくまっすぐに、あたり前のように歌われている。


■「はずだよ!」の威力~つんくさんと大森さんの差異?


もちろん、つんくさんは、決して、能天気なだけの歌詞を書く人ではない。


  しばらく会えない日が続いたら
  少し弱気になっちゃうんだよ

  あなたは意外とのんきな人で
  そんな私に気付かない

  HEY!HEY! かなり普通顔
  HEY!HEY! 自慢の彼のはずだよ!



このように、「I&YOU&I&YOU&I」では、「手をつないで感動したい」というような、女の子の希望だけではなく、女の子の「弱気」についても歌われている。

しかし、「I&YOU&I&YOU&I」は、たとえ、弱気になってしまう自分に彼が気付いてくれなくても、弱気のままで立ち止まろうとはしない。
「自慢の彼のはずだよ!」と、弱気になってしまう自分に前を向かせる。

つんくさんの書く歌詞は、自分の気持ちへの疑いや恐れを知らないというよりは、自分の弱気を弱気のままにしておかない……と表現することができるのではないかと思う。


こうした「はずだよ!」とびっくりマークをつけて、自分の弱気を振り切って、「何年たっても映画を見るとき手をつないで感動したい」と、自分の気持ちをまっすぐに言葉にできる点が、たぶん、大森さんの曲とつんくさんの曲が異なるところだ。

大森さんの曲の場合、「はず」という不確かさの中に、「オリジナルなんてどこにもないでしょ」とか、「ずっと愛してるなんて嘘じゃない」みたいな、「絶対的なものなんてどこにもない」ことへの絶望感みたいなものが滑り込んでくる。
けど、「I&YOU&I&YOU&I」は、絶望が顔を覗かせる前に「!」をつける。「!」の中に絶望を飲み込んで、彼の胸に飛び込んでいく、みたいな潔さ……というか、力強さみたいなものがある。



■ファンタジーまで遠くはない



大森さんは、「I&YOU&I&YOU&I」を

  アイドルがくれるファンタジーの最上級

と表現している。

確かに、現実的に考えれば、「I&YOU&I&YOU&I」みたいに、「君と新しい人生を作る」ことの希望を確信し、希望だけを信じて人生を送るのは難しい。
そういう「女の子」の希望は、自分の内側にあるぐちゃぐちゃしたものだとか、外側にある暴力だとかに、簡単にさえぎられてしまったりもする。そして、そのことは時に「絶望感」として女の子の心に沁み込んだりするだろう。
だからこそ、そんな「絶望」を歌の中に織り込みながら、それでもその絶望に飲みこまれないように生きて行く女の子像を歌っている(と私は思っている)大森さんが、これだけ多くの人に支持されるんだと思う。


けれど、その一方で、『ミッドナイト清純異性交遊』は、「ワンルームファンタジー」の中にいても、「アンダーグラウンドから君の指まで遠くはないのさ」ということを教えてくれた。
『絶対少女』というアルバムには、ファンタジーみたいな綺麗ごとや夢を、ファンタジーとして捨ておくのではなくて、そこに手を伸ばして現実にしようとする、エネルギーや意地が溢れている。
そんな歌の中のエネルギーは、聞き手の人生に力を与えてくれる。

「I&YOU&I&YOU&I」 は大森さんの書く歌詞とは方向性が違うようでいて、その実、「何がファンタジーな世界なのか」「女の子はどんな世界を夢見ているのか」というような、女の 子に「夢見られるべきファンタジー像」については近いものがあるのではないかと思う。
ただ、つんくさんはそのファンタジーな世界に対する確信を歌おうとしていて、大森さんはそこまでの距離と、そこに辿り着こうとする女の子たちの足掻きを描き出そうとしている。
そこに、つんく♂大森靖子という二人の「作り手」の差異があるのではないかという気がする。




■ご結婚おめでとうございます。



ところで、「人生に力を与えるエネルギー」は、作品のエネルギーは、その作品の「作り手」自身と、どんな相関関係にあるのだろう。

聞き手である私が関われるのは、作り手がつくり出した「作品」でしかないんだけれど、「いい作品」さえ届けてくれたらいいのかというと、そういうわけではなくて、やっぱり、作り手たちにも幸せであって欲しい。

いきなり話が飛びましたが、何が言いたいのかというと、大森さん自身の人生が「I&YOU&I&YOU&I」みたいな幸せファンタジーのあるものであってほしいな、ということです。
聞き手である私は、もちろん、「作り手」の人生そのものには踏み込めないんだけど、せめて、彼女の作品を聞く私たちと作品を作る彼女との関係性が、僅かでも作り手自身の何かプラスになるようなものであるように努めたいなあ、と思います。
少しでも大森さんの後押しをできるように、これからも微力ながら応援していきたい。
来週、ライブに行くのが楽しみです。

 

※この記事は、http://n1watooor1.exblog.jp/ にて2014/7/6に公開したものです。

 

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