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“OUT” / 大森靖子『あたし天使の堪忍袋』@『魔法が使えないなら死にたい』の感想

※『魔法が使えないなら死にたい』の感想を一曲ずつ書いていっています。→ 魔法が使えないなら死にたい - ニワノトリ
※『絶対少女』の感想企画もやりました。→ 絶対少女 - ニワノトリ

 

 

今回は、大森靖子さんのアルバム『魔法が使えないなら死にたい』の5曲目、『あたし天使の堪忍袋』の感想を書きたいと思います。

 


大森靖子 - 「 あたし天使の堪忍袋 」@ヲルガン座 - YouTube

 

 

この歌はハードボイルド小説のように始まる。

 

人違いでリンチされた少年を
一目みて恋におちた少女

ただこの街の名もない歌はゴミ
黒いカラスついばむ白い袋

 
例えばある明け方、新宿歌舞伎町の裏路地で、一人の少女が人違いでリンチされた少年に恋に落ちている。その横を一人の探偵が通りすぎる。彼女はそこで始まるどんな物語にも興味はない。彼女の後ろでカラスが白い袋をついばむ。この路地裏では、すべてがゴミだ。大通りから吐き出された、もつれた欲情や、ただれた欲望が、この路地裏に堆く積もっている。この路地裏はそれを拾い食って生きながらえていて、彼女の家兼探偵事務所は、その一角にある……

 

など。

大森靖子の低い声と、重いギターの音が描き出す世界に、そんな風景を重ねることもできるだろう。

始まりだけではない。『あたし天使の堪忍袋』という曲は、その全体を通して、路地裏の薄汚いアパートに事務所兼住居を構えるような、ハードボイルドなある探偵。そんな探偵が見る風景を歌っているように聞くことができる。

 

なので、今回は、『あたし天使の堪忍袋』という曲をハードボイルド小説に出てくる探偵(主人公)の曲として聞いてみたいと思う。

 

 

あれとそれを足して二で割ったのが
私だってもうわかっている

 

まるっきりずれた憧れをずっと
貫いていられれば幸せなのに
でも全部最初からわかってたし
最初から全部失ってた

 

まさしく、探偵のように、「私」は「もう」「全部」「わかっている」。

例えば事件現場にやって来た探偵は、そこに欺瞞があることをすでに知っている。
犯人の作り上げた美しい物語は探偵に真実を見抜かれて、その瞬間、ただのガラクタになる。「私」は登場人物たちが隠してきた、過去を、恨みを、巧みなトリックを、全て暴くためだけに訪れるよそ者だ。事件の魔法を解いて彼女はそこから立ち去って、家に帰っては次の依頼を待っている。

 

明け方の記憶はとぎれとぎれ
うちに帰るために生きてる身体

 


「私」が探偵だとするならば、「私」が居るべき場所などどこにもない。
事件が起きているところ。そこが彼女の居場所でありアイデンティティであるとしても、事件が解決すればそこはもはや現場ではなくなってしまうのだ。私は常に、私の居場所を解体し、全てを終わらせるために現場に向かう。彼女は現場と事務所を往復するために生きている。強いて言うのなら、その往復こそが彼女の居場所だ。
「うちに帰るために生きてる身体」。
彼女の身体の居場所は、彼女の向かう先にはない。

 

愛してくれなんて言えないわけは
朝日がまぶしい
ただそれだけ
あ あ あ


彼女は夜の世界に生きている。
朝起きて、会社に向かって夜は眠る……そんな、太陽の光のもとに生きる普通の人々が、日の光の届かない心の奥底に隠している欺瞞、怨念。それらが引き起こす出来事こそが彼女を生かしている。
逆に言えば、彼女に、太陽の下は歩けない。彼女の目がすべてを暴いてしまうからだ。日の光のもとで、人々は憧れは憧れのままに、物語は物語のままに、真実の不感症のように生きている。そうした真実がもつれ、殺人、殺傷、浮気、不倫、そうした不穏な形で昼の世界に顔を出した時、彼女の出番が訪れる。その時、彼女は、その「不穏な形の奥底」に、どのような欲望が渦巻いているのか、その欲望がなぜ噴出したのか、人の心の暗闇を暴きだす。
彼女の目は、光の作り出す影を暴くためにある。人の心の影ばかりを追ってきた彼女に、朝日の光はまぶしい。

 

愛してくれなんて言えないだけど
明日もちょっと
付き合ってくれ あ あ あ


彼女はなぜ、「愛してくれ」といえないのだろうか。
「愛してくれ」。それは永遠を約束するような言葉だ。それは、最初に歌っていた「まるっきりずれた」ような「憧れ」を、「私」に向けて「ずっと 貫いて」くれということなのではないか。そうだとすれば、「愛してくれ」という言葉ほど、真実を見抜く永遠のよそ者である「私」に相応しくないものはない。
永遠を口に出せない「私」は、せめて、すぐそこにある「明日」を約束して、じりじりと毎日をつないでいくことでしか、未来を描けない。

「あああ」と彼女は呻くように歌い上げる。それは、彼女が言葉を信じていないからではないか。言葉というものは発せられた瞬間に物語を描く。しかし、彼女は、どんな物語の奥にも、欺瞞があり、誰も知らない真実があることを知っている。彼女は言葉を信じることはできない。
全ての真実を見抜く彼女にとっての本当の真実は、「あいしてる」という言葉ではなく、「あああ」といううめき声を上げるその瞬間の中にしかありえない。
だから彼女は、朝日に目を細めながら、「あああ」と意味を持たない声を上げるのだ。

掃き溜めのような路地裏には、今日も明日も、薄汚れた感情が投げ込まれる。その感情を受け止める彼女の人生は、天使の堪忍袋のように、とめどなく、他人の汚い感情を溜め込んではそれを糧に毎日を往復し、じりじりと今日と明日を結び合わせて生きて行く。

 

 

 

■あとがき

いつもと違う感じで書こうと思いまして……桐野夏生の作品に、村野ミロシリーズという、女性の探偵が主人公のハードボイルド小説があるんですが、そのシリーズの『天使に見捨てられた夜』という作品を思い浮かべながら『あたし天使の堪忍袋』を聞いて、感想を書いてみました。
タイトルは、同じく桐野夏生の小説『OUT』から。

 

■一緒に聞いてみようなハロプロ

 


モーニング娘。『女と男のララバイゲーム』 (White Dance Shot Ver.) - YouTube

 

かなり、苦しいですが、「分かってる」系つながりということでこの曲。
あー、さゆが踊ってますよ……。

 

 

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