いよいよ、明日、1月17日に映画『ワンダフルワールドエンド』が公開されますね。
主演は橋本愛ちゃん、蒼波純ちゃん。
そして、橋本愛ちゃんにボコボコにされるイケメンとして稲葉友くんが出演しています。
音楽は、大森靖子さん。
『ワンダフルワールドエンド』といえば、大森靖子さんの『君と映画』そして『ミッドナイト清純異性交遊』という二つの曲のミュージックビデオが元になっている映画です。
ついに、MVに出てくるあの三人のアレコレが明かされるのかと思うとワクテカ take a chanceです。
明日は公開初日ということで明日は舞台挨拶が行われる! のですが、私はチケット取れませんでした……が、できれば1月17日に見たいので、レイトショーを見に行こうと思っています。
ということで。
さきほど、『君と映画』、『ミッドナイト清純異性交遊』のMVを見直してみました。
というわけで。
『ワンダフルワールドエンド』予習編、と題しまして、私の独断と偏見にもとづいて、これまでに自分で書いたブログ記事とか見つつ、『君と映画』『ミッドナイト清純異性交遊』という曲・MVのポイント・気になることなどをまとめてみました。
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追記:実際に映画見てきたので感想文や勝手にレコメンドも書きました。
そうだ、『ワンダフルワールドエンド』を見に行こう(勝手にレコメンド) - ニワノトリ
こういう映画を待ってた。/松居大悟監督『ワンダフルワールドエンド』の超個人的な感想 - ニワノトリ
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0.前情報
『ミッドナイト清純異性交遊』と『君と映画』は、大森靖子の『絶対少女』というアルバムに収録されている曲で、『ミッドナイト清純異性交遊』は2曲目、『君と映画』は14曲目(最後から二曲目)にあたります。
この二曲のMVはYouTubeにアップされていて、監督はもちろん、『ワンダフルワールドエンド』の監督でもある、松居大悟さん。
『君と映画』と『ミッドナイト清純異性交遊』のMVはひとつながりの物語になっていて、時系列的には『君と映画』が先、『ミッドナイト清純異性交遊』が後です。
大森靖子『君と映画』Music Video - YouTube
大森靖子『ミッドナイト清純異性交遊』Music Video - YouTube
主な登場人物は三人です。
二人の友人?の蒼波純ちゃん
また、大森さんご本人も、曲中登場人物みたいな感じで、映画館の後ろのほうとか、iPhoneの画面の中で歌う姿が出てきます。
はい。
では、前置きはこれくらいにして、私的MVのポイントまとめてみました。
1.「君」って誰だ? 『君と映画』編
『君と映画』と『ミッドナイト清純異性交遊』には、「君」という言葉が出てきます。
たとえば、こんな感じ。
君がコンビニまでの道 何度私をふり返った
私の幸せ君と新しい人生をつくるの コピーページにはならない
君と映画 君と漫画 君とテレビ(『君と映画』)
アンダーグラウンドから君の指まで
遠くはないのさiPhoneのあかりをのこして
ワンルームファンタジー(『ミッドナイト清純異性交遊』)
この歌詞から明らかなように、『君と映画』と『ミッドナイト清純異性交遊』では、「君」と「私」の関係性が少し違います。
『君と映画』の「君」は、一緒に映画を見に行くような、私の隣にいる日常的な存在。
『ミッドナイト清純異性交遊』の「君」は、iPhoneやテレビの中にいる、私が憧れるような非日常的な存在。
で、この二つのMV、主な登場人物が大森さんを含めて四人いるので、この四人の中に「私」と「君」がいるんじゃないかなという予測が成り立ちます。
なので、そんなことを考えながらMVを見てみたい。
まず、『君と映画』。
この曲のMV、最初に登場するのは橋本愛ちゃん稲葉友くんカップルです。
そして、この曲の前半で、橋本愛ちゃんは、稲葉友くんと映画を見たり、テレビを見たりしています。
橋本愛ちゃんを抱きかかえながらテレビを見る稲葉友くん(うらやましい)
まさしく、二人は「君と映画」で「君とテレビ」しているわけです。
なので、曲の前半では、「私」が橋本愛ちゃん、「君」が稲葉友くんっぽい感じに見えます。
ラブラブか、リア充か。って感じですが、このMV見ていると、まったくこの二人が充実している感はない……。
映画館の入り口で、稲葉友くんは財布を探すふりをするばかりで、あからさまに映画料金払う気がなさそうだし、映画が始まっても、稲葉友くんは爆睡してます。橋本愛ちゃんもなんか楽しくなさそうです。
橋本愛ちゃんの表情の硬さ……
その後、稲葉友くんと一緒にいる橋本愛ちゃんは楽しそうに笑いつつも、時々、ふっと遠い目をしたりします。
橋本愛ちゃんは、彼氏と一緒にいて楽しくなくても、「私はこの彼氏と一緒にいて幸せだし、楽しいんだ」と自分に言い聞かせて、無理やり笑顔を作っている感じです。
「君と新しい幸せ作るの」というように、『君と映画』という曲は、君と映画する尊さや幸せをうたっているけれど、MVの中では、「君と新しい幸せを作るの」という決意が「私は君と一緒にいると幸せなはず」というシナリオにすり替わっていまっていて、橋本愛ちゃんは、そのシナリオに沿って自分の感情を偽ったり、無理やり笑顔を作ったりしてい(るように見え)ます。
なので、「橋本愛ちゃんー稲葉友くん」という「私ー君」の関係性は見るからにどん詰まりというか。
割と見ていて悲しくなってくる感じです。
ということで、登場するのが蒼波純ちゃんです。
蒼波純ちゃんは、一番のサビの最後、次の歌詞が歌われる瞬間に登場します。
私に新しい神様買ってよ
君の神様も見せてよ
ポイントは、この歌詞が、『君と映画』という歌詞で、初めて「君」という単語が登場するところだということです。
「君」という単語と同時に登場する蒼波純ちゃんは、「私」と新しい人生を送る「君」になりえなかった友くんに代わる、新しい「君」として登場したようにも見えます。
というのも、この、蒼波純ちゃんが登場して以降、『君と映画』のいう曲が「君と一緒にいることの大切さ」を歌うとき、橋本愛ちゃんはいつも蒼波純ちゃんを見つめているんです。
例えば、
海もいいよね 山もいいよね
学校に先生はいなかったでしょ
魚に泳ぎ方 鳥にとび方 君にあるき方 愛し方
の「君にあるき方 愛し方」の部分で、橋本愛ちゃんは蒼波純ちゃんを見ています。
「オリジナルなんてどこにもないでしょ それでも君がたまんない」という歌詞の、「君がたまんない」の箇所も、上で引用した、「君がコンビニまでの道 何度私をふり返った 私の幸せ」という歌詞のところで、橋本愛ちゃんの方をふり返るのも蒼波純ちゃんです。
この曲で「君」が歌われる時、橋本愛ちゃんの目の前には、いつも蒼波純ちゃんがいる。
なので、『君と映画』における「君ー私」という関係は、曲の冒頭では「友くんー愛ちゃん」に見えるんですが、曲が進むうちに愛ちゃんの目の前に新しい「君」として純ちゃんが現れて、「純ちゃんー愛ちゃん」という組み合わせに入れ替わっていきます。「男-女」から「女-女」に代わると言い換えてもいいかもしれません。
っていうか、入れ替わるどころか、最終的に、友くんは愛ちゃんに、ベランダの外に蹴り飛ばされて、部屋の外側に追いやられます。
ごめん俺が悪かった、な稲葉友くん
なので、『君と映画』という曲のMVは、「君-私」の関係性が「男-女」から「女-女」に入れ替わり、その入れ替わる過程で男が世界の外に排除されるという、そんなストーリーを描いているといえると思います。
まさしく、「さようなら、男ども」という感じ。
2.君って何だ? 『ミッドナイト清純異性交遊』編
そんな『君と映画』は『ミッドナイト清純異性交遊』のMVに続いていくわけなのですが。稲葉友くんはベランダの外に行ってしまったので、『ミッドナイト清純異性交遊』にはほとんど登場しません。
ベランダの外でピクピクしているイケメン
その代わり、大森さんの出番が増えます。
大森さんは『君と映画』のMVにも出てくるんですが、『君と映画』では、基本的にバックグラウンドで歌っているだけで、橋本愛ちゃんの目の前には現れません。しかし、『ミッドナイト清純異性交遊』では、大森さんが「歌手」としてiPhoneの中に現れ、橋本愛ちゃんに歌を歌う姿を見せるという形を取っています。
iPhoneの中の大森さん
暗い部屋でiPhoneの大森さんを見る愛ちゃん
最初に書いたように、 “『ミッドナイト清純異性交遊』の「君」は、iPhoneやテレビの中にいる、私が憧れるような非日常的な存在”(たぶん)なので。
『ミッドナイト清純異性交遊』では、大森さんこそが橋本愛ちゃんにとっての「君」=iPhoneやテレビの中にいる憧れの存在として登場しているように見えます。
この歌詞とともに暗い部屋でiPhoneを眺める橋本愛ちゃんにとって、その画面に映る大森靖子は、そこにあかりを届ける「神様」のような存在なのではないでしょうか。
しかし、面白いのは、この後、橋本愛ちゃんが蒼波純ちゃんに部屋の外に連れ出される → 公園に辿りついた愛ちゃんが台(?)の上でこの歌詞を口ずさむという展開をするところです。
曲の前半で橋本愛ちゃんと蒼波純ちゃんは部屋の中で戯れてるんですが、純ちゃんが部屋の外に出て行っちゃって、それを追いかけて、愛ちゃんは部屋の外に出ていくことになります。
そして、橋本愛ちゃんは小さな公園にたどり着き、そこにある小さな台の上にのぼり、踊りながら、「アンダーグラウンドから君の指まで 遠くはないのさiPhoneのあかりをのこして ワンルームファンタジー」という冒頭の歌詞を口ずさむんです。
曲の冒頭では、橋本愛ちゃんは、アンダーグラウンドから、iPhoneの中にいる、「憧れ」だったり「神様」だったりする大森さんという「君」を見つめ、曲を聞いているだけでした。
しかし、橋本愛ちゃんは純ちゃんに部屋の外に連れ出されたことをきっかけに、自らが小さいステージの上に立って、歌を口ずさむようになる。
最初は、「君」という神様、アンダーグラウンドの「私」という非対称的な関係があったたけれど、橋本愛ちゃんはその非対称性から抜け出して、自分もステージに立ち、歌を歌う。
そして、その後、愛ちゃんが純ちゃんを捕まえた後、こんなカットが挿入されます。
大森さんが『ミッドナイト清純異性交遊』を歌うその世界に、橋本愛ちゃんと蒼波純ちゃんが入り込んで、大森さんとともに、カメラをじっと眺める。
そんなカットです。
このカットは、アンダーグラウンドにいた橋本愛ちゃんは、最終的に、大森さんという「君」の世界に辿りつき、そこから、「アンダーグラウンド」にいる誰かをじっと見つめている。そんな風に解釈できるのではないかと思います。
ここで、「君」と「私」の関係性に戻れば……。
『ミッドナイト清純異性交遊』で歌われている「君-私」の関係性が、そんな「大森さん-橋本愛ちゃん」という関係性であるとすれば。
まず、ここでもまた「女-女」という関係性があります。
そして、この関係性は、神様のような「君」のところにアンダーグラウンドの「私」がたどり着く、そういうストーリーを描くようなものです。
「君の指まで遠くはないのさ」という歌詞にあるように、キラキラしたiPhoneの中の世界とアンダーグラウンドは、一見、まったく別世界ではあるけれど、実は地続きで。それを教えてくれるのが「大森靖子」なのであり、それにこたえて部屋の外に飛び出したのが「橋本愛」なのであるという。
そういうストーリー。
『ミッドナイト清純異性交遊』における「君」と「私」はそういう、「君」に「私」がたどり着いて、そんな「私」が誰かの「君」になって……という循環を描くようなものなんじゃないか。
そんな感じに解釈できるんじゃないかと思います。
(MV抜きにも、『ミッドナイト清純異性交遊』という曲自体が、「私」という一人称が「君」のものでもあり、「私」のものでもある、という、「私」という一人称を通して「私」と「君」が交差するような構造をしている(たぶん)ので、このMVではそれが美しく視覚化されている気がしました)。
で、その「地続き」というところを、保証するのが「女-女」という対称性(性別が女であること以上に、対称であることが重要だと思います)なのかな?と思うのですが、そのあたりは、また、『ワンダフルワールドエンド』を見てから考えたいな、と思っています。
3.向き合う視線
短くするつもりだったのに相変わらず長くなってしまったのですが、最後に、もう一つだけ、「視線」について触れておきたいと思います。
というのも、『君と映画』と『ミッドナイト清純異性交遊』のMV。「向き合う」っていう動作がすごく重要になっていると思うんです。
まず、『君と映画』。このMVで橋本愛ちゃんと稲葉友君は、あまり「向き合う」ということをしません。一緒に映画を見たり、一緒にテレビを見たり、一緒に歩いたり、後ろから抱き着いたり……横に並んで、同じものを見る平行な視線はたくさん出てくるんですが、正面から向き合うシーンは少ない。
向き合っているのは、MVの冒頭と、最後、橋本愛ちゃんが稲葉友君にぶち切れる場面くらいです。これは、二人で隣に並んでいるときには、自分の気持ちを抑えて楽しい振りをしていた橋本愛ちゃんが、彼氏と正面から対峙することで、初めて自分の感情をむき出しにした……と言い換えることもできると思います。
そんな二人に対し、蒼波純ちゃんと橋本愛ちゃんは何回か「向き合って」います。
蒼波純ちゃんがスマホで橋本愛ちゃんと彼氏の写真を撮る時、蒼波純ちゃんが道で戯れる二人を追い越してふり返る時、蒼波純ちゃんが橋本愛ちゃんの似顔絵を描いている時。橋本愛ちゃんと蒼波純ちゃんは正面から向き合い、時に見つめあいます。
象徴的だと思うのが、このシーンです。
**
①蒼波純ちゃんが橋本愛ちゃんの似顔絵を描く(橋本愛ちゃんと向き合う視線)。
②橋本愛ちゃんが、蒼波純ちゃんが描いてくれた自分の似顔絵を見ている(向き合う視線)。
③それを後ろから一緒に覗き込む友くん(平行する視線)。
④友くんはそれを後ろから取り上げる。
**
で、この後に橋本愛ちゃんがぶち切れて友くんを蹴りだすというシーンに行くわけなんですが……この一連のシーンを見ていると、友くんが似顔絵を取り上げたこと(純ちゃんが愛ちゃんを見つめる視線)を取り上げたことが切れるきっかけのようにも見えます。
このシーンは、稲葉友くんと橋本愛ちゃんが、もはや同じものを同じ思いで見つめることができなくなったのだということ、そして、蒼波純ちゃんと正面から見つめ合うその視線こそが橋本愛ちゃんにそれを気づかせ、彼女を部屋の外へ連れ出したのだということを示してるんじゃないでしょうか。
また、「向き合う」という点では、『ミッドナイト清純異性交遊』にも「向き合う」という動作がたくさん描かれています。
・まず、iPhoneを眺める橋本愛ちゃんとその画面に映る大森靖子との向き合い。
・最後に、MVの最後で唐突に挿入される、カメラ越しに視聴者を眺める、橋本愛、蒼波純、大森靖子三名と、その視線を受け止める視聴者との向き合い。
特に三つめが重要だと思っているんですが……
『君と映画』から、『ミッドナイト清純異性交遊』へ。
視聴者は、愛ちゃん-純ちゃん、愛ちゃん-大森さんという、女の子同士の向き合い、見つめあいが、愛ちゃんをアンダーグラウンドの外へ連れ出して行くストーリーを、パソコンやiPhoneのスクリーン越しに眺めていたわけなんですが、最後の最後で、突然、女子たちの大きい瞳が差し向ける、まっすぐな視線の前に立たされるというわけです。その視線は、「私たちは今、こんな世界に立っているけど、あなたたちはそんな世界で何をしているの?」みたいなことを問うてきているように感じられます。
先ほど、関係が対称であることについて言及してみたんですが、「パソコンのなかの人-それを視聴する人」というのもまた、一見、非対称な関係です。見る側はひたすら、見る者として、画面を見るだけ。
私たちは、完全なる観察者としてその曲についてあーだこーだ言うのもことも可能ですし(このブログは常にそんな感じですね……)、その世界に共感して、完全に没入してしまうこともできる。
でも、最後、三人の少女が画面越しに視聴者に差し向ける視線は、視聴者を完全なる観察者にもしないし、完全なる没入にも閉じ込めない、そんな力強いものだと思うんです。
彼女たちの視線に晒された時、パソコンのスクリーンで、スマートフォンで、MVを見ている視聴者は、今、自分のいる世界こそがアンダーグラウンドであることに気づかされるのではないでしょうか。
この時、パソコンの前にいる私たちは、「アンダーグラウンドから君の指まで 遠くはないのさ」と歌う「私」の位置に立たされて、『ミッドナイト清純異性交遊』の世界を他人事のように愛でるのでも、その世界に完全に入り込んだのでもない一人の「私」として、三人に向き合わさせられて、「私」は「私」の今いる世界をどう変えるのかみたいなことを突きつけられるような気がします。
で。
『ワンダフルワールドエンド』の予告編を見ていると、どうも、この映画では、この「画面越しに」「向き合う」っていう行為がすごく出てくるっぽい。
『ミッドナイト清純異性交遊』のMVにも、愛ちゃんと純ちゃんがiPhoneでカメラを向けあったりしてましたが、映画ではさらに、愛ちゃんや純ちゃんがツイキャス?みたいなことをしてるっぽかったりする。そして、カメラに向かって、あるいは、カメラの向こうの誰かに向かって?何かを話したり、叫んだりしている。
私は、明日、映画のスクリーン越しに、彼女たちを見に行こうとしているわけなんですが、愛ちゃんとか純ちゃんが、いったい、「だれ」と向き合って、「だれ」に何を話そうとしているのか。そして、なぜ、そこに「カメラ」が介在しなければならないのか。
っていうのが、気になっていたりします。「カメラ」に向かって自分を撮る女の子について、いろいろと言われたりしていますが……『ワンダフルワールドエンド』という映画はそこに何を映しだしているんでしょうか。
5.ということで
以上、中途半端ですが、『ワンダフルワールドエンド』を見る前の予習として、『君と映画』『ミッドナイト清純異性交遊』をもう一回見てみた、みたいな話でした。
『ワンダフルワールドエンド』は、1/17から公開されます。楽しみですね!
公式ページとTwitterはこちら。
映画『ワンダフルワールドエンド』公式サイト/監督:松居大悟×音楽:大森靖子
ワンダフルワールドエンドTwitterの中の方は、この映画に対する熱を感じさせてくれる方です。
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最初にも書きましたが、この記事は、以下の記事を元に書きました……とかいいつつ、色々書き足した結果、すごく長くなりました;
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。『ワンダフルワールドエンド』、楽しみですね!
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