ニワノトリ

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こういう映画を待ってた。/松居大悟監督『ワンダフルワールドエンド』の超個人的な感想(ネタバレはあまりない

□『ワンダフルワールドエンド』観てきました! 

 


映画『ワンダフルワールドエンド』予告編 - YouTube

 

2015年1月17日に、松居大悟監督の『ワンダフルワールドエンド』が公開されたので、見に行ってきました。私が見に行ったのは、17日の21時から始まる通常回。朝から舞台挨拶があって、すでに二回の上映が終わっていたにも関わらず、立ち見が出るほどの満席でした。

 

満席ということで、映画が終わった後、予定はなかったのに、急きょ松居監督がスクリーンの前にいらっしゃって、観客に挨拶してくださいました! サプライズ! 



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監督にサインいただきました。
すごく優しい+映画に対する情熱を感じる方でした。

 

 

監督が、映画を観終わった観客を見て、「みなさん、いい顔をしている」とおっしゃっていました。
自分で言うのもおかしいですが、私も映画の後、「いい映画を見終わった後の観客」の顔してたんじゃないかな、と思います。
この映画の音楽を担当されている大森靖子さんの音楽やライブがそうであるように、一人ひとりの心に語り掛けてくるような素敵な映画だったと思います。
あ、今の場面、響いたな(私に)。って自分ではっきりと分かる瞬間が、たくさんありました。

映画に出てくる橋本愛ちゃん(詩織)と蒼波純ちゃん(亜弓)、二人の女の子は、ゴスロリを着ても、普通の生活をしていても、とてつもなく美しく、かわいい。
だけど、そんな二人が作り出す世界には「萌え」なんかありません(と思う)。二人の一挙一動すべてに、観る者の劣情をべりべりと引きはがすような生々しい生の痛みがあります。ラストに詩織が放つ一言には、そんな痛みを抱えて、それでもこの世界を「生きて行く」。そんな女の子の意志がきらりと光っていて、観る人たちにとってこの映画を忘れられないものにすると思います。
この映画の世界観を凝縮したようなラストシーンは必見です!! 

きっと、観る人、それぞれの心に色んな角度から響く映画だと思います。

ぜひ、色んな人に見て頂きたい! 

 


映画『ワンダフルワールドエンド』公式サイト 
今のところ、新宿武蔵野館
で上映中です。

 

 

***

 

□予習(?)のすすめ :秋葉原で増田ぴろよさんの作品を観る+大森靖子さんのMVを観る

 

映画を観る上で、おすすめしたいのが、映画を観る前に、秋葉原の「3331」というアートスペースに行くことです。
現在、「千代田芸術祭 2014 スカラシップ展」が行われていて、その中に、この映画のコラボTシャツをデザインした増田ぴろよさんの作品が展示されています。

 

 

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ぴろよさんデザインTシャツ(買っちゃった) ※映画館で買えます

 

 


「3331 千代田芸術祭 スカラシップ受賞者展」の詳細。1/25まで開催されているそうです。

 

 
私は映画を見る前にこの展覧会を見に行ったんですが。
これがすごくよかったんです。
特にこの鏡! 
『ワンダフルワールドエンド』を見る前にこの鏡で写真を撮ると、ワンダフルワールドエンドの世界の中に足を踏み入れられたような気分になれます。

 

 

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この写真はアートスペースの外にある鏡を使って作られた作品ですが、
アートスペースの方にはキルトや版画などの作品があり、
ぴろよさんご自身がキルトを製作するスペースも用意されていました。

特にキルトの作品は、パソコンの平面な画面で見るのとは印象が全然違いました。

 

 

ぴろよさんの作品について辛酸なめこさんが解説(?)を書いてらっしゃるんですが、それもとても分かりやすい。それを読みながらぴろよさんの作品を観ていると、「さよなら、男ども」という、『ワンダフルワールドエンド』のキャッチコピーがどんな世界を描こうとしているのか、イメージが広がっていくのではないかと思います。

 

とにかく、『ワンダフルワールドエンド』の前後(できれば前!)に、この展覧会を見に行くことを、私は心からお勧めしたい。
(他の展示作品も面白かったです。会場は秋葉原ハロー!プロジェクトショップの裏側にあるので、ついでにハロショに立ち寄るのも楽しいと思うよ!)

 

 

 

また、前回のブログにも書きましたが、大森靖子さんのMVを元にした作品なので、そちらを事前に観ておくのもおすすめです。

 


『ワンダフルワールドエンド』の予習:もう一回『ミッドナイト清純異性交遊』と『君と映画』を見た。

 


そうだ、『ワンダフルワールドエンド』を見に行こう(勝手にレコメンド) - ニワノトリ

 

 

**

 

映画がとてもよかったこと、ぜひ、ぴろよさんの作品を見に行ってほしいこと。
以上二点が、この小さなブログの端っこでどうしても叫んでおきたいことでした。

 

 

この映画の題材の一つはLINEやブログ、ツイキャスといったインターネットツールです。
監督も、そういうツールを通じて映画が広がっていったらいいなとおっしゃっていました。

以下では、『ワンダフルワールドエンド』の宣伝と備忘録を兼ねて、私の感想をつらつら書いておこうと思います。


ネタバレしないように心掛けてますが、できるだけ前情報を入れたくない方は読まない方がいいかもしれません。

 

 

***

 

□都合のいい男=ボコボコになる男

 

どちらかというと、口数の少ない映画だったと思います。
映画だからもちろんストーリーがあって、色んな展開があって、起承転結もあるんですが……場面と場面の間がみっちり埋め込まれているというよりは「そこで何があったのか」「この場面と場面の間に何があったのか」は、読者の想像にゆだねて、映画では直接描かない……そんな「余白」のたくさんある映画だったと思います。
あのシーンの後、あの子はどんなことをしたんだろう。あのシーンにいたるには、どんなきっかけがあったんだろう。そんなことを考えながら、映画を観ていました。
幻想的で非現実的なシーンもいくつか差し挟まれるので、もしかしたら、人によっては、「え、今のどういうこと?」とか、「あの後何があったの?」というように、ちょっと説明不足と感じたりする部分もあるかもしれません。
でも、個人的にはそういう映画の「余白」がとても心地よかったです。
登場人物の表情や台詞から、「こんなことがあったのかな」と、そのシーンの前に、その子に起きた出来事について思いをはせて、映画と一緒に、私なりの『ワンダフルワールドエンド』を形作っていく……そんな感覚が少しありました。


このように、ところどころストーリーがふわっとジャンプする(と私は思った)映画ではあるんですが、映画の物語がバラバラに空中分解することはありません。
この物語を突き通す世界観がこの映画に一貫性を保たせています。

 

そうした「一貫する世界観」なるもの?を生み出す一つは、やはり、橋本愛(詩織)と蒼波純(亜弓)、二人の女の子のリアルな存在感です。


橋本愛の熱演は必見で、今、表情、台詞、目線。彼女の一挙一動に、今、そこに生きている現実の女の子としてのリアリティが沸々と滲み出していました。

 

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蒼波純は、「女の子」と響きが持つキラキラ感がそのまま現実世界に現れた。みたいな、どこか非現実的で、でも確かにこの世界を生きてる。そんなアンバランスで不思議な魅力があります。

 

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そんな二人が作り出す世界には「女の子だったら分かるんだよ。こういうの」という有無を言わせぬ説得力がありました。

 

実際、彼女たちの台詞、彼女たちが対面する様々な出来事には、「あ、そういうことってあるよね」という(特に女の子に)共感を呼ぶようなものが多かったように思います。
そして、だからこそ、「きっと、こんなことを感じたんだろうな」「きっと、こういうことがあったんだろうな」と思いをはせることができました。
一つひとつの場面に対する「あ、そういうの、分かる」という共感が、そのシーンには描かれていないことの想像を喚起させてくれて、そういう共感によって、飛び石のように進んでいく一つひとつのシーンの間が埋められている。そんな感じがありました。

 

 

この感覚はSNSにも少し似ていました。タイムラインに表示される呟きや写真の中にある、その人の気持ちや体験した出来事の断片。その中から、「あーこれ分かるなー」という共感を拾い出して、その人の全体像をぼんやりと想像して行く感じ。もちろん映画だから、SNSよりもはるかにしっかりとしたストーリーがあるんですが……この映画ではそれぞれのシーンに対して生まれる、ふぁぼとかスタンプを押すみたいな共感が私の中で結びついて行って、私なりの『ワンダフルワールドエンド』を作り上げて行くような感覚があって、そういうところはちょっとSNSっぽかったです。

 

しかも、それは女の子限定のSNSです。

 

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映画のパンフレット

 

も。

 

このキャッチコピーにあるように、この映画は男に「さよなら」を言います。
後に残るのは、「女の子」だけの世界です。
なので、この映画にあるのは、どちらかと言えば「女の子」に向けた共感で、"女の子だったら、「あー、分かる」「そういうの、あったらいいね」っていう共感でついていける。" ……そんな「女の子びいき」な側面があります。
なので、ある意味「女の子に都合のいい映画」だと思います。
この映画の中には、「女の子」は特別で、「女の子」にだけ分かる世界があります。
女の子という共通項、女の子の共同体……この映画の裏側にはそういうものがあって、それに対して、女の子ではない観客が理不尽に感じる部分もあるかもしれません。

 

***

 

今、「女の子に都合のいい」と書きました。
だけど、これは決して、いわゆる「少女漫画みたいな」女の子の夢を描いた映画ではありません。
そして、その点が、私がこの映画に強く胸を打たれた理由の一つでもありました。

 

前述の通り、この映画は男に「さよなら」を言います。
いや、「さよなら」どころか、ボコボコにします。誰も「王子様」を待ってなんかいない。むしろ、王子様面した男こそ、積極的にボコボコにされる。

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ボコボコにされたイケメン。
大森靖子『ミッドナイト清純異性交遊』のMVでも見られるシーンです。



この映画にとって都合のいい男とは、優しく手を差し伸べてくれる男でもお金を持っている男でもなくて、ボコボコになってくれる男です。
この映画は、川島(稲葉友)というイケメンをボコボコにします。彼は決して悪い人ではありません。苛々はするけど、悪者ではない。だから、彼が(男代表として)ボコボコにされるのを見て、「えーーーー」と理不尽さを感じる部分もあるかもしれません。
しかし、同時に、今日もどこかで、女が女という理由だけでAVの中で、パソコンの画面の中で犯されているじゃないか、とも思います。DVDの中で、パソコンの中で、ゲームの中で、男が女をヤるように、この映画は男を殴ります。
憎しみや悲しみ、痛みを込めて、完膚なきまでに、ボコボコにします。

 

「女の子に都合のいい」とはいっても、この映画は決して心地いい映画ではなくて、この映画は女の子の全能感や陶酔感ではなく、女の子として「生きて行く」ことや、女の子として「見られる」ことの痛みこそが描かれています。
しかし、そんな彼女たちは、「痛いから、悲しいから、辛いから」それを理由に、「私を守って」と男にすがったり、「もうしょうがないな」と男を許したりしません。最後の最後まで男を否定します。ボコボコにします。
そこには、「少女漫画的」な「都合のよさ」とは全く違う新しい都合のよさがあり……。映画を見終わったとき、ああ、私はきっとこういう映画を待っていたんだ。
こういう物語を見せてほしかったんだ、と。
そんなことを思いました。

 

そして、上で、橋本愛蒼波純の女の子としての説得力がすごい、みたいなことを書きましたが、ボコボコにされるイケメン:稲葉友のボコボコにされる男としての説得力もまた、凄まじいです。
これ、稲葉友くんにしかできない役だったと思います。「ボコボコにされる美学」すら感じました。

 

***

 

最初に、この映画は口数が少ないから、ちょっと説明不足と感じたりする部分もあるかもしれない。ということを書きました。
そして、女の子のリアリティがそこに一貫性を持たせているとも書きました。

 

もう一つ、映画に「一貫性を持たせる」ということについて書いておきたいのが、大森靖子の楽曲。特に、最後のエンドロールで流れる、本映画のテーマソング『呪いは水色』のことです。

 

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Tシャツの裏に『呪いは水色』の歌詞が書いてあるお

 

物語が終わり、真っ黒なエンドロールの後ろに流れる『呪いは水色』には、この映画の世界観を、音楽でもってぐぃっとまとめ上げる力強さがありました。

 

「あなたは正しい それでもやっぱり 私だって正しい」

「全部台無しにさせてよ」

 

『呪いは水色』のなかには、映画を観て私の中に生まれた「言葉にできない、でもそれはすごく分かる」という掴み切れない気持ちをぴたっと捕まえてくれるような、そんな言葉があります。そして、その言葉は「ああ、そういうことだったんだ」という感慨をもたらしてくれました。
『呪いは水色』を通して、あのシーン、あのセリフが、あの表情が蘇って、私の中で、『ワンダフルワールドエンド』が一つの形になる。『呪いは水色』にはそんな力があるように思います。

 

『呪いは水色』だけでなく、大森靖子の様々な音楽と映画が交差して、一つの世界観を作りあげる。
『ワンダフルワールドエンド』は、まさしく、「音楽と映画の常識をぶっちぎる鮮烈な絶対少女ムービー」でした。

まだまだ公開はこれからということで、ぜひ、多くの方に見に行っていただきたいなと思います。

 

 

 

大森靖子の聞き手として

 

私がこの映画を見に行ったきっかけは、大森靖子さんでした。
大森靖子さんが音楽を担当されるということで、興味を持ったんです。
なので、大森靖子の聞き手としての感想も書いておこうかと思います。

 

大森靖子さんが音楽を担当されるということで、興味を持った」
……こういう流れで見に行くと、抱く不安というものがあるじゃないですか。
「思ってたんと違う!」みたいになったらどうしようっていう。
松居監督は元々MVの監督をされている方ですし、MVがとても素敵だったので、そんなに不安はありませんでしたが……私も一応大森さんの一ファンとして持っている世界観というのもあるわけで。我儘ですが、映画を観て、「なんかそういうんじゃないの!」ってなったらどうしようっていう思いは多少ありました(すみません)。

 


大森靖子「ワンダフルワールドエンド」「呪いは水色」 - YouTube

 

が、実際に映画を見てみると、むしろ、この映画に松居大悟監督の作家性はきちんと発揮されているのだろうかと一瞬(一瞬ですよ)不安になってしまうほどの大森靖子ワールドが展開されてました。

 

もちろん、不安になったのは一瞬です(大事なことなので(ry
映画と音楽はぜんぜん違う表現形態だから、この映画には映画じゃないと表現されえないものがたくさんありました。
今からそれについて書こうと思ってるんですが、とりあえず最初に、大森さんファンが見て、何かを裏切られる、とかそういうことはないと思いますよ、ということが言いたかったです。
あんまり不安な方もいないと思うし、余計なお世話かと思いますが; 

 

***

 

『ワンダフルワールドエンド』は、「思ってたんと違う!」どころか、大森さんの音楽の新しい側面を見せてくれた映画でもありました。

 

そんな、この映画を通して気が付いた側面の一つ。
それは、『ミッドナイト清純異性交遊』は始まりの歌なんだな、ということです。

 


大森靖子『ミッドナイト清純異性交遊』Music Video - YouTube

 

 

『ミッドナイト清純異性交遊』はこの映画にとって……何より、詩織(橋本愛)という一人の女の子にとって、とても大きな意味を持っている曲です。
東京で売れないモデルをしている詩織は、苦しいときに「アンダーグラウンドから君の指まで遠くはないのさ」という歌詞を口ずさんだり、ライブでこの曲をリクエストしたりしています(このライブでリクエストをする場面、大森さんのライブを観たことのある方にとっては、それこそ「あるある」みたいな。ああ、こうだよね、大森さんのライブってこうなんだよね、と言いたくなるような場面じゃないかと思います。大森さんの曲を聞く橋本愛ちゃんの表情に、私が初めて行った大森さんのライブで、私の隣で泣いていた女の子のことを思い出しました)


実際、この映画は『ミッドナイト清純異性交遊』(と『君と映画』)のMVを元にしています。
ですが、この映画は、むしろ、『ミッドナイト清純異性交遊』そのものというよりは、その先を描く映画なのだと思います。

 

『ミッドナイト清純異性交遊』は、「アンダーグラウンドから君の指まで遠くはないのさ」「世界だって君にあげるミッドナイト清純異性交遊」というように「アンダーグラウンドにいる「私」が、「君」にあげる世界を手に入れるためにアンダーグラウンドから抜け出していく」みたいなイメージを持っている曲です。
なので、『ミッドナイト清純異性交遊』は、「アンダーグラウンド」で「君」を見つめる「私」が「私」の物語を始める。そんな「始まり」の瞬間を切り取った曲とも言うことができるのではないかともいます。

 

しかし、音楽がそうした「瞬間」を切り取るのだとしたら、映画はストーリーを描きます。
『ワンダフルワールドエンド』は、『ミッドナイト清純異性交遊』を起承転結の「起」において、そこから、一人の女の子がどんな物語を描いて行くのか、それを追う映画である……一人の大森靖子の聞き手として、私はそのように受け取りました。

 

『ワンダフルワールドエンド』の中で、詩織は「嘘でもいい 嫌いでもいい 私を見つけて」というように、なんとか芸能の世界で生き残ってやろうとします。
また、『ミッドナイト清純異性交遊』のMVのように、この映画で、詩織と亜弓は女の子だけのキラキラとした世界を作り上げます。
しかし、一方で、そうした彼女たちの努力や、キラキラした世界が、そのまま報われたり、そのまま現実を生きていけたり……ということはない。
この映画では、それがうまく行かなかったり、何かに阻まれてしまったり。
そのようなシーンもたくさん描かれます。

 

なので、『ワンダフルワールドエンド』は、『ミッドナイト清純異性交遊』のようにキラキラとした世界を内側に抱えた女の子たちが、それを抱えたまま、この世界をどう「生きている」のか、「生きて行く」のか、『ミッドナイト清純異性交遊』の先にある物語を描いている。
そのように称することができるのではないかと思います。
『ミッドナイト清純異性交遊』という「始まり」が、どのような『ワンダフルワールドエンド』を描くのか。
『ミッドナイト清純異性交遊』というかの名曲が、映画として、一つの物語となって走り出す。そんな瞬間を、ぜひ、キティのみなさまに見て頂きたい。そう思います。
……おそらく、大森靖子ファンの方は私が言わずとも見に行かれることとは思いますが; 

 

 

ベルリン映画祭に招待されたということで(おめでとうございます!)、これをきっかけに大いに盛り上がってほしいですね。

私も、また、友達つれて見に行きたいと思います。

 

***

 

 この感想文の続き(というかメモ)


ネタバレあります

 

***

 

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