ニワノトリ

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-1を0にする芸術のこと/大森靖子『マジックミラー』(MV)の感想です。

 7月15日に、大森靖子のメジャーセカンドシングル「マジックミラー / さっちゃんのセクシーカレー」が発売されます。

 

 

MVがYouTubeに発表されていたので、それを見た感想を書いてみたいと思います。

 

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大森靖子という人の音楽は「人の視線に晒されること」に対してとても敏感であり続けて来た。と思う。
例えば、昨年発売された彼女のメジャーデビューシングル『きゅるきゅる』には次のような歌詞がある。

 

似合わないけど着てみたい

 


「似合わない(と言われるのは分かってる)」けど「(私は)着てみたい」というような、「私に」注がれる視線と、「私が」やりたいことの間にあるズレ。大森さんはそうしたズレの体験をヒリヒリだったり、ポップだったり。色んな形で感じさせ、思い出させる曲を歌ってきた人だ。

 

彼女が発売するCDやグッズに多用され、彼女の曲の中にも何度か登場する「ピンク」色は女の子と社会の境界面にあるような色で、「女の子と言えばピンクでしょ」という、誰かからの視線は、女性として生まれて来た人であれば、一度は体験せざるを得ない。ピンク色とは、女子の色であると同時に、「汝、ピンク色たれ」という女子の呪いでもある。大森さんは、そんな、「誰かのピンク色」という呪いと「私のピンク色」の狭間で、「私のピンク色」を勝ち取り、敗北させないために戦って来た(のだと思う)。


この7月に発売される『マジックミラー』とは、そんな、「私」に注がれる視線に対する抵抗、あるいは戦い。そうしたものが、一番目に見える形になった音楽なのではないだろうか。
『マジックミラー』はタイトル通り、「ミラー」というものが一つの核になった曲であり、MVでも、歌を歌う大森さんの後ろには大きなミラーが立っている。

 

 


大森靖子「マジックミラー」MusicClip - YouTube

 


鏡は、正しく「視線」を映し出し、跳ね返すものである。私たちは、出掛ける前に鏡を覗き込む。歯磨きをして、髪をセットして、メイクをして、鏡の中に移る私を見て、「今日の私はどう見られるのか」確認をしてから、学校に向かったり、会社に向かったり、デートに向かったりする。


鏡の前に立つこと。それは、「私」ではない誰かの視線に晒される前に、他ならぬ私自身が、他者の視線を装って、「今日の私」をチェックするということだ。髪が跳ねていないか、マスカラはダマになっていないか。今の「私」は人前に立つに値するか。
人前に立つこと、人から視線を注がれること。自分の部屋を出た瞬間から、誰しもが体験することだ。人に見られることの恐怖、あるいは祝福。それは私たちの人生に常に付きまとう。


『マジックミラー』に登場する4人の登場人物+大森靖子という人は、そうした人から注がれる視線に、人よりも敏感であるような人たちかもしれない。「視線に晒されること」を人一倍渇望したり、嫌悪したりしている(かもしれない)5人を背景に、『マジックミラー』は次のように歌う。

 

どうして女の子がロックをしてはいけないの

 

モテたいモテたい女子力ピンクと
ゆめゆめかわいい女子力ピンクが
どうして一緒じゃないのよ
汚されるための清純じゃないわ ピンクは見せられない

 
ここに歌われているのは、ひどく一般的にいいかえてみれば、自分に「注がれる視線」と「こうありたい自分」のズレであると言えるだろう。
人前にさらされた瞬間に、「私の清純」は誰かを喜ばせ、誰かに汚されるための概念と化してしまう……『マジックミラー』には、ピンク色も、清純も、誰かの視線に晒された瞬間に、自分だけのものではなくなって、別の何かに変質してしまうことへの抵抗や怒りが見え隠れする。


しかし、『マジックミラー』はそうした「ズレ」に対する呪いや怒りをテーマとした曲ではない。

 

あたしの夢は
君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを
掻き集めて大きな鏡をつくること
君がつくった美しい世界を
見せてあげる


「ブサイク」から「美しさ」へ。『マジックミラー』に映し出されるのは、怒りのような破壊の衝動ではなく、新しいものをつくりだしてやる、つくりかえてやるという創造への希望だ。
『マジックミラー』は、ブサイクなはずの「あなた」を、美しく映し出す。


例えば自分がかわいいと思っていたピンク色が誰かの前ではかわいくないものであると知った時。自分がいいと思っていた人生や価値観が、もっと大きな何かに否定された時。そこに、「ブサイク」というレッテルが生まれる。「ブサイク」であるという社会的、致命的死の体験は、人々が自分に注ぐ視線を恐怖に変える。それは外見に限った話でもなく、自分の外見、価値観、生き方、好きなモノ。それが、誰かにとって、自分にとって、醜いものであると認めることは、自分で自分の価値を一度、社会的に殺すことでもあるだろう。


「私なんて」「私なんてどうせ」。そんなことを言いながら、それでも誰かに君かわいいねと言ってもらいたいとき、その人は自分のピンク色を捨てて、誰かのピンク色を自分のモノにしようとするのかもしれない。


しかし、そうやって捨てたあなたのライフを「ブサイク」ではなく「美しく」映し出す鏡があるのなら。毎朝、そんな鏡を覗き込んで化粧をして、服を選んで、毎日生きて行くことができたなら。そんなifを可能にするのが、『マジックミラー』という魔法の鏡なのだ。
誰かがかわいいという服を選び、誰かがかわいいというアイラインの角度を選ぶのではなくて、あなたがかわいいアイシャドウを塗って、あなたがかわいいTシャツを選ぶこと。
大森靖子のマジックミラーは、それを覗き込む聞き手に、既存の価値をなぞることではなく、あなたの、新しい価値を創り出すことを選択させようとする。
1を2にするというよりは、-1を0のスタート地点に置くような芸術。大森靖子は、そんな芸術をポップにメジャーに詰め込んだマジックミラーを届けてくれる。


ただし、0になった目盛りを1にできるかどうかは、その後、聞き手の人生に委ねられている。『マジックミラー』は、聞き手に聞き手自身の人生を駆動させ、自分の人生に自分で責任を負うことを宣言させるための曲でもある。

 

 

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