ニワノトリ

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(ハロヲタが)一人で行った 大森靖子『マジックミラー / さっちゃんのセクシーカレー』6部制イベント(日記というよりはフィクションです)

 

 

 

 半年前に別れた彼女が好きだったアーティストのライブに行ってきた。毎日毎日、「大森さんが」「大森さんが」とうるさかった彼女が、「大森さん」を「靖子ちゃん」と呼ぶようになった日のことを僕は忘れない。彼女は、最後の最後まで、僕のことは名字に君付けしか呼んでくれなかった。

 

 その大森靖子が新宿で17時から22時45分まで、6部制のリリースイベントをやるというので、ああ、この時間なら仕事帰りに行けるなと、5部(21:45〜)のチケットを買った。言っておくが、別に元カノに会いたくて行ったわけじゃない。もう彼女は東京に住んでないし、今はまだ、ライブに来られるような状態じゃないはずだ。
 ……と言いながら、新宿の人ゴミの列の中に、彼女がよく被っていたベレー帽を探してしまった僕が未練タラタラなヘタレ男であることはよく分かっています。すみません。ここだけの話、僕は今でもたまに彼女のブログを読む。

 

 彼女はいつも、「私には靖子ちゃんを好きになる資格がない」という申し訳のない気持ちを文学的に表現しながら、「ごめんなさいこんな私でごめんなさい」と許しを乞うている。僕には、「好きになってごめんなさい」の一言を何千字にも引き延ばし、掘り下げる彼女の才能が彼女自身を傷つけて、その自虐的な場所に彼女を縫いとめ続けているようにも見える。
 文学的に自分を傷つける彼女には、ついぞ僕が生み出す平穏な言葉は届かなかった。最強の萌えアイテム、ベレー帽の裏側には、彼女の複雑がぎっしり詰め込まれていたのだ。気づくのが遅かった僕はアホだったけど、それでもベレー帽は可愛いかったし、彼女も可愛かった。

 

 しかし、よく考えたら、この季節にフェルトの赤いベレー帽をかぶっている女の子なんているわけがない。彼女に別れを告げられた日、僕はコートの下に、彼女にもらった手編みのセーターを着こんでいたけれど、あっという間に半袖の季節になってしまった。僕の目の前を、「さよなら、男ども」と書かれたTシャツを着た女の人が颯爽と歩いて行く。その人はALTAの横を通り抜けて、歌舞伎町の方に歩いて行った。

 

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 案の定、その人が立ち止まったのは、新宿ロフトが入っている白いビルの真ん前だ。その女の人と、彼女をつけるようにその後ろを歩いていた僕(道が分からなくて……)もスタッフの「イベント5部に参加される方はこちらにお並び下さい」という声に頷いて、僕とその人は入場待ちの列の一部になった。

 

 

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 大森靖子のライブに行くのは初めてだった。ベレー帽が似合う(元)彼女に『魔法が使えないなら』というアルバムを借りたことはあったけど、いまいち、この人の歌をどう聞いたらいいのかよく分からなくて、あまりリピート再生をしたことはなかった。彼女に正直にそう言うと、「ライブに行けば分かるよ! 今度一緒に行こう!」と言われた。一緒に行く前に別れることになった。それ以来、彼女を思い出したくないから大森靖子という人の名前を見たらさっと顔と耳を背けることにしていたんだけれど、そんな女々しいことばかりもしてらんないし。

 

 渋谷のヴィレッジヴァンガードでCDの予約と引き換えに手に入れた整理券の番号は37番。「整理番号40番までの方―」の声に答えて、新宿ロフトのライブスペースに入ると、会場のど真ん中に置かれているギターと、それをぐるりと二重に取り囲むようにして置かれているいくつかの椅子が見えた。観客たちは、競うようにそこに腰かけているが、よく見ると、幾つかの椅子はまだ空いている……それはいうなれば最前。僕はライブ初参戦の癖に、その良席に座ってしまった。

 

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 イベントが始まって、生大森靖子キターーーーと思ったら、いきなり、スイカ割りが始まった。らしかった。スイカ割りはギターからかなり離れたところで行われていて、僕が座っている位置からは、観客に紛れてスイカ割りの様子は見えない。でも、親切な人が大声で「今、スイカ割りしてる」「大森さんがスイカ切ってる」と生実況してくれた。銀色のトレイに乗ったスイカも回って来た。ちょうどお腹もすいてたし、僕は遠慮なく頂いたんだけど、隣に座っている、水玉模様のワンピースを着た女の子は食べなかった。メイクが落ちるとか、ダイエット中とか、色々事情があるのかもしれない。僕の(元)彼女が来ていたら、食べていただろうか。

 

 スイカを食べ終わったところで大森靖子のライブが始まった。フラットなフロアで、観客と1mも離れずに、ここより先立ち入り禁止のポールも立てず、アコースティックギター一本持ってリリースイベントをするメジャーアーティストってなかなかいないんじゃなかろうか。大森靖子ピンク色のピックを握る、その短く切りそろえられた爪の長さも分かるくらいの距離感に、僕はビビった。
 僕の目の前でギターがかき鳴らされ、さっきまでスイカがースイカがーと言っていた観客たちが一気に息を呑んで大森靖子を見つめる。大森靖子という一人の女性をぐるりと観客が取り囲み、その一挙手一投足を見逃すまいと、じっと目の前の光景に集中をする。その真剣な様子は、おばあさんの昔話を聞く子供たちの図のようにも見えた。
 確かに、歌を歌う大森靖子は時に少女のように無邪気に微笑み、時に老婆のように宙を見つめた。一曲一曲の中に、何人もの女が現れては、その人生の一瞬を観客に見せつけて、すっと消えて行く。「明日スカートをはくのが今の僕の夢」。大森靖子の歌は、声は優しくてかわいいのに、ギターの音と歌詞には残酷な切れ味があった。

 

 隣の女の子が突然泣き出した曲があった。「しくしく」ではなく、「ずるずる」と鼻をすする泣き方。結構本格的に泣いてるなとまたビビっていたら、僕の正面に座っている女の子も頬を濡らしているのが見えた。歌詞の中に聞こえて来る「マジックミラー」という単語に、これが、今回リリースされるシングル曲なのだということに気が付いた。

 

 

大森靖子2ndシングル 『マジックミラー/さっちゃんのセクシーカレー』

 

 

 結局、その場でCDを購入し、6部のライブにも参加してしまった僕の手元には今、DVD付のシングルCDと、通常版のCDがある。

 

 家に帰って、このCDを聞いて、ベレー帽が似合う僕の(元)彼女がいつも「ごめんなさい」と謝っていたことを思い出した。
 ブログで、LINEで、メールで、ベッドの脇で、アパートの階段の下で。彼女は「ごめんなさい」を繰り返した。僕が何度「いいよ」「大丈夫だよ」と言っても彼女は謝った。僕の「いいよ」「もう帰ろう」は何度も空振りして、彼女の「ごめんなさい」の上を通り過ぎて行った。

 

 彼女はいつも僕ではない誰かに謝っているのかもしれなかった。あるいは「謝る」こと自体に意味があったのかもしれない。
「謝る」存在というその場所にしか、居場所がないかのように、彼女はいつも謝り続けていた。

 

あたしアナウンサーになれない
きみも色々してきたくせに
どうやって息をするのが
正解だったか教えて

 

どうして女の子がロックをしてはいけないの?

 

素直な子が好きだって言うから
素直に生きてるだけでしょ さみしい

 

『マジックミラー』のアナウンサーになれない女の子は、「色々してきたくせに」「どうして」「素直な子が好きだって言うから素直に生きてるだけ」と歌う。
「アナウンサーになれない」「素直に生きてるのにどうやらこの素直さは正しくないらしい」そういう、自分の生き方と、「正解の生き方」の間のズレの中で、女の子は「どうして」と噛みつき、「さみしい」と抗議する。


 この歌の中には、「(正解じゃなくて)ごめんなさい」ではなくて、「(正解じゃないのは)どうして」という声がある。

 

いままでの嘘
全部ばれても
あたしのこと好きでいてね

 

 こういう歌詞を聞いていると、「女の子」という生き方には、いかに、「自分を偽ること」が付随するのかということを考えさせられる。
 それはきっと、「ロックをしたい自分」や「素直に生きる自分」を偽らなければ、「女の子」として認められない(と感じている)からなのだろう。

 

 しかし、『マジックミラー』は、そんな「嘘」がばれても謝らない。「あたしのこと好きでいてね」という。

 

汚されるための清純じゃないわ
ピンクはみせられない

 

あたしのゆめは
君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFE
掻き集めて大きな鏡をつくること
君がつくった美しい日々を
みせてあげる


 この曲は「誰かのため」に装われた清純ではなく、「君が」つくった美しい日々のことを歌っているのだ。

 

 何が言いたいのかというと、僕は『マジックミラー』という曲を聞いて、これは「自分が自分を許すこと」を歌った曲なのではないかと思った。

 

 誰かに清純を認められること、誰かに正解と認められること……そういう、「誰か」による承認を元にした人生ではなく、自分で自分が人生を作るための歌。
 誰かに「正解」と認められない人生を歩く自分を「それでいいよ」と許すための歌。
 誰かにブサイクと貶されることに怯えながら生きるのではなく、自分で自分の美しい日々を作るために生きる……「マジックミラー」は、そういう生き方をすることを、自分に許そうとする曲なのだと思う。

 


大森靖子「マジックミラー」MusicClip - YouTube

 

 僕の(元)彼女はずっと謝っていた。彼女はもしかしたら、自分の許し方を知らなかったのかもしれない。だから、謝ることの終着地点を見つけられない無限ループにハマってしまっていたのかもしれない。
 けれど、同時に、大森靖子を「靖子ちゃん」と呼ぶ彼女は、「自分で自分を許す」ための生き方を探してもいたのだろう。彼女が欲しかったのは、僕の……他の誰かの「いいよ」という言葉ではなくて、自分の、自分に対する「いいよ」だったのかもしれない。
 大森靖子は色んな女の子が背負っている生きることの罪を贖い、それを「全部消し」白紙に戻すように、もうそんな下らない罪を贖う必要のない世界をその子が作り出せるように、歌を歌っている。

 

 届かなかった僕の「いいよ」ではない、彼女が欲しかった「いいよ」が、『マジックミラー』の中にあって、そのことに気がついた僕は、『マジックミラー』を聞いて、初めて、大森靖子のリスナーになれた気がした。

 

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