ニワノトリ

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(ハロヲタが)一人で行ったかもしれない、"縷縷夢兎 First exhibition 『muse』"

大森靖子さんの公式LINEに登録したら、大森さんが、「縷縷夢兎」の個展の情報を教えてくれました。
縷縷夢兎(るるむう)」は大森さんの「絶対少女」や「きゅるきゅる」「マジックミラー」の衣装の他、でんぱ組.incの衣装などを手がけている、東佳苗さんという方が手掛けている、ハンドニットブランドです……ということは、展覧会に行く前、ググって改めて知りました;

 

……というくらい、縷縷夢兎についてあまり知らなかったのですが(すみません)、今日は、たまたま、東京の事業所に行くことになっていたし、せっかくだし、行ってみようと思って、帰りに寄ってみることにしました。

"縷縷夢兎 First exhibition 『muse』"

 

 

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『絶対少女』の衣装。大森さんスペースにナナがいたんだけど写真を撮り忘れてしまった……

 

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でんぱ組.incの衣装

 

***

 

ユニクロのシャツとコットンパンツに、ポーターのデイバックを背負って行ったら、心底浮いた。

 

恵比寿駅を降りて会場に向かうまでは、あんなに何の違和感もなく歩いていられたのに、会場の入り口に立ったあたりで様子が変わった。僕の前に入場料を払ったのは、薔薇柄の短いスカートに、フリルのたくさんついたブラウスを着て、くまとかうさぎの小さいぬいぐるみのたくさんついた白い鞄を持っている、何か世界観がそのまま街を歩いているみたいな女の子だったんだけど、会場に入ったら、世界観がそのまま街を歩いているみたいな女の子ばかりだった。白いレース。フリル。ピンク。薔薇。うさぎ。ぬいぐるみ。甘くて溶けそうな装い、だけど、確固たる意志がないとできない装い。
ここはサラリーマンの街、恵比寿だから、しかも時間は夜の19時だから、会場に入るまで、仕事帰りのサラリーマンとすれ違う彼女たちは、街から浮き上がっていたのではないかと思うのだけれど、500円を払って会場に入ったら、浮いているのは僕の方だった。全身ユニクロ総額4000円でごめんなさい。

 

恐る恐る会場を見回すと、空間は淡いピンク色だった。床にはレッドカーペットならぬピンクカーペットが真っ直ぐ伸びている。その上を歩く勇気はなかったので、カーペットをそっと跨いで、まず、展示されている写真を見た。『Dress for me』。

 

 

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写真撮るの下手ですみませんorz

 

 

縷縷夢兎の服を着た女の人が、複数の男性の肉体の上に太ももを投げ出していた。侍らせている? いや、纏っているということなんだろうか。女の人が着ているニットのピンク色と水色が、肌色ばかりの写真の中に、不自然に浮き上がっている。さっきまで甘くて溶けそうとか言ってたくせに、僕はそのピンク色を見て急に怖くなる。ぞっとする。それはなんでだろうと考えた時に、ふと、大森さんの言葉を思い出した。

 

「生肉のピンク色が一番好きなんですよ」
http://www.cinra.net/interview/201405-marianneoomori?page=3

 

このインタビューを読んだ時は、正直、生肉は確かにピンク色だけど、『絶対少女』のピンク色が生肉(かもしれない)ということにピンと来ていなかった(すみません)。けど、『Dress for me』のピンクと水色を見て、分かったような気になってしまった。

 

生肉のピンク色と静脈の水色。『Dress for me』の写真の中で、縷縷夢兎の服を着た女の人は肉体をそのまま裏返して、皮膚の内側を露出しているようにも見えた。
人体の不思議展のように身体の中身を晒して、写真の中の彼女はじっとこちらを見つめている。
そのあまりのグロテスクさに、僕は彼女から目をそらしてしまった。
そのまま、その隣に展示してある縷縷夢兎のニットを見た。
縷縷夢兎の衣装は、大森さんがステージで来ているのを見たことはあったけれど、間近で見るのは無論初めてだ。30cmの距離で見ると、ニットの縫目、毛糸の一本一本までよく見える。丁寧に編み込まれた編み目を見て、人の手がこの服を作っているところを想像する。作っている人の想いとか、執念とか、そういうものを想像する。ピンク色のニットが生肉なのだと思うと、それを構成する一本一本の毛糸と、それを繋ぐ一つひとつの編み目が、血管のように見えて来る。

 

そこで、僕は初めて、もしくは、改めて気が付いた。
洋服を着るという行為は、単に身体を覆うのではなくて、自分の内側を外に露出するという行為でもあるのだということ。僕は僕の目の前で入場料を払う女の子を「世界観がそのまま歩いている」と形容していたけれど、洋服を作って、洋服を選んで、身に纏うとは、そのまま、その子の内側にある世界や、欲望や、鬱屈や、希望を、自分の外側の世界に露出させるということなんじゃないか。
となると、洋服を着るとは、水着になるよりも、明らかに露出度は高いのかもしれない。さっき、写真を見てぞっとしてしまったのは、その露出度が高すぎたからだろうか。

 

縷縷夢兎の洋服は、服が露出であるということを隠さないグロテスクさがある気がする。縷縷夢兎の服、一着一着を見ていると、服が、社会と自分の境界面であること、自分を社会に晒す皮膚そのものなのであるということを見せつけられているような気になる。洋服を丁寧に作って、丁寧に選ぶ人は、「服」が社会と自分との境界面であることを知っているのだ。自分が見て来たもの、自分が聞いてきたもの、自分が好きなモノ、好きな人、自分の内側に広がる世界が、血管になって、肉になって、皮膚になって、洋服になる。

 

ファーストリテイリング量産型の僕は、自分の世界の内側を、消費社会に預けることに慣れてしまっている。先日、森T展に行った時にも思ったことなのだが、服を作るとは、服を着るとは、社会の中に、自分の世界を露出させて、社会の中に自分の居場所を創り出すこと、そして、自分と社会の間に、新しい関係性を作り上げようとすることなのだと思う。ユニクロでも、無印でもない、AOYAMAでもない、関係性。「かわいい」とはその関係性を、もっとも、鋭く、もっとも暴力的に、もっともやわらかく、もっともかわいく、作り上げるための一つの方法なのかもしれない。

 

 

***

 

 

……自分語りが過ぎてしまった。もちろん、大森さんの衣装もちゃんと見た。

『きゅるきゅる』の衣装をよく見ると、襟のところに、こう書いてあった。

 

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「LOVE ME KILL ME」

 

大森さんの曲を聞いていると、あるいは、大森さんのことを好きな女の子の話を聞いていると、愛するということと生きるということが、どうしてこんなにもイコールなのだろうと思っていたけれど、縷縷夢兎の衣装を見て、女の子が「愛して」という時、女の子は自分の全てを露出するということなんだろうかと思った。

欲望も、希望も、絶望も、全てが、「LOVE ME」の瞬間に、噴出するのかもしれない。

 

……何か、ずっと、かもしれないかもしれない言ってますね……。

 

色々言って分かったことにしたがってるけど、結局、縷縷夢兎の個展に行って、よく分かんないということが分かっただけのような気がします。

 

***

 

個展、もう一回見に行ってみたいし、財布の中に500円しかなくて買えなかったパンフレットも買いたいんだけど、個展は明日までだった。

でも、500円で見られるのはとてもお得だったと思うので、明日、恵比寿に行かれる方は是非。渋谷交差点からすぐですよ。

 

 

 

詳細は公式サイトで

 

niwanotori.hatenablog.com

 

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