ニワノトリ

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20代の終わり的 大森靖子「愛してる.com」MusicClip感想文

 

 

~以下まえがき~

僕が10代の頃にはTwitterなんてなくて、MDプレイヤーをくるくるリピートしては、この曲をこんなに愛してるのは僕だけだって思い込んでいた。真っ暗な部屋でイヤホンを両耳にさして、フレーズとフレーズの間の息遣いの中に、言葉にできない自分の感情を探した。自分の中だけにあるこのぐるぐるとした汚い感情を理解してくれるのはこの曲を歌うあの人だけだなんて思い込んでいた。

けれど、今、僕のTwitterのタイムラインには僕以上に真摯な愛が溢れている。毎日流れて来る愛の叫び、一つのフレーズに涙した記録。楽しかったライブの思い出、一瞬の接触にかける熱量、ライブに行けない燻り……途切れることのないタイムラインに、僕は、僕の愛なんて、その他大勢のうちの一つでしかないことを知る。僕しか知らなかった僕の「愛してる!」は、出したお金の数・行った現場の数・ツイートの文字数・溢れる狂気とそれを評価するRTの数・イイね!の数……大量の数の中に埋もれて見る影もない。お前、昔はもっとキラキラしてたのにな。
僕だけしか分からないと思っていたことをあの子が、もっとセンスのいい言葉ですでにツイートしてて、リツイート50件。僕がリツイートして51件。1/51の純情な感情は壊れるほど愛してももっとセンスのいい誰かに先を越されるばかり。Twitterの中にいれば僕は一人じゃないけど、一人じゃなくなればなくなるほど、僕と誰かを比べる癖がついて行く。あの人の方がセンスがいい、あの人の方がライブに行っている、あの人の方がCDを買っている……。
CDが当たり前のように100万枚売れていたあの頃、一人でMDプレイヤーを聞いていた僕は「あの人より僕の方が……!」なんて、思ったことはなかったのに。

ハッシュタグを検索してずらりと並ぶ愛の叫びは、数秒の間に更新される新しい「愛してる」に押し流されて行く。その中に自分のツイートを見つけて、そこに永遠に留まるなんて思って呟いたわけじゃないけど、それなりの意味と気持ちを込めて呟いたつもりだったんだけどなと勝手に空しくなる。SNSは僕に、僕の「愛してる」は僕だけのものではないということを圧倒的な情報量で教えてくれる。

~まえがきおわり~

 

 

ところで大森靖子さんの『愛してる.com』のMusicClipのことなんだけど、これはまさしく、大量の「愛してる」が延々と流れて行く仕様になっている。

 

youtu.be

 

インターネット時代のミュージックビデオだと言えばそれはその通りで、僕はツイキャスでこういう映像を何度も見たことがある。
だけど、これはツイキャスじゃない。大森靖子というアーティストの『愛してる.com』という作品のMusicClipで、例の二宮ユーキさんが編集・監督をしている。見ようによっては、この世の大量のツイキャスから「愛してる」を言う場面だけを切り抜いて作られたアート作品みたいにも見える。

 

このMusicClipは(映像を)切り抜く・貼り付けるの繰り返しでできていて、どの「愛してる」も、前後の文脈は分からない。みんながバラバラの場所で、バラバラの格好で、バラバラの時間に、色んな方向を向いて、色んなテンションで「愛してる」を言う。笑ってる子も泣いてる子も怒ってる子もいる。何で怒ってるのか、誰を愛しているかは分からない。MVが進めば進むほど、バラバラ感は増して行き、「愛してる」を言わずにカメラに土をかけたり、煎餅を割ったりし出す。Twitterで流れて来るタイムラインを可視化したら正しくこんな感じなのかもしれないと思う。文字にしたら「愛してる」でぜんぶ一緒でも、みんな違う場所で、違う背景を背負って、呟いている。

例えば、これらの映像が既にフルでツイキャスやYouTubeにアップされているとしても、僕は幾人もの女の子たちの動画全てに辿り着くことはなかっただろう。しかし、『愛してる.com』は、そんな僕に、お前もったいないことしてるんじゃねえぞ、ちゃんと聞けよゴルァ! と言わんばかりで、お前ちゃんと見ろよ、と、女の子の「愛してる」をごりごり見せつけて来る。何せ、『愛してる.com』のMusicClipは、『愛してる.com』をリピート再生したければ、女の子の「愛してる」の全てに向き合わざるを得ない仕様なのだ。

 

このMusicClipを繰り返し見ていると、それぞれの映像に入っている雑音や部屋のゴチャゴチャ感に、一つひとつの「愛してる」にちゃんとリアルな場所があって、彼女たちが生きている文脈があるんだなということを感じさせられる。このMusicClipは、そういう、一つひとつの「愛してる」が持っている「居場所」の存在が観る人に伝わるように、丁寧に映像が貼りあわされ、編集されている。「愛してる」はただ並んで、ただ流れて行くのではなく、一つひとつの動画がちゃんと空間的・時間的広がりを持っているのだ。

このMusicClipが映し出しているような、リアルな場所と時間を持ち合わせた「愛」の居場所というやつは、縦に流れて行く、Twitterタイムライン的「愛してる」というよりは、ひとつの場所に自分の愛を記録して行くような、ホームページ的な・テキストサイト的なやつだ。そして、それこそが、正しく『愛してる.com』なんだと思う。

切り抜かれた動画が、大量に並べられているからこそ、それぞれの女の子の背景の差異に目配せをせざるを得ない。このMusicClipは、それぞれの「愛してるよ」を埋もれさせるためにではなくて、生かすための仕上がりになっていて、「愛してるよ」のタイムラインというよりは、「愛してるよ」のリンク集みたいだ。

 

最初に書いた通り、僕は、いくら熱をかけたか・いくら金をかけたか・いくら時間をかけたかっていう、愛の狂気比べみたいなTwitterのタイムラインの中で、自分の「愛してる」を平坦な140字に落とし込むことに勝手に疲れていたから、何か、『愛してる.com』のホームページ的「愛してる」に、「ちょっと落ち着け、お茶でも飲んでけ」と言われたような気がした。

 

シングル買わないとね。

 

 

 

 

 

独り言は以上ですが、最後に、一緒に聞きたいおすすめ動画を貼っておきます。

 

youtu.be

 

言うまでもなく! モーニング娘。モーニングコーヒー

モーニンモーニンはじめて~で、あたりで、うおおおモーニングコーヒー!!!! ってなるので、ハロヲタさんにもオススメですよ。

 

 

 

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