ニワノトリ

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「愛してる.com」を聞いて言葉を失った話

 

 

これまで、わたしが、大森靖子さんという人の作った、一つひとつの大切な一曲の、一つひとつの歌詞を、端から端まで切り刻むようにして聞いてきたのには、それなりにわけがあるのですが、大森靖子さんという人の作った、『愛してる.com』という曲を聞いたあの日から、わたしは、その、「わけ」から解放されたような、そんな気がしてなりません。

 

ライブ会場で『愛してる.com』を聞くと、いつも時が止まります。もちろん、『愛してる.com』は音楽なので、時間芸術なので、私が『愛してる.com』を享受する間に約3分3秒の時間は確実に流れますし、その流れを対価とすることなしに、『愛してる.com』を聞くことなど不可能です。ですが、それでも、『愛してる.com』は私の時を止めるのです。私は『愛してる.com』の第一音目を聞いた瞬間に、『愛してる.com』の最後の音を聞いています。私は『愛してる.com』の最後の音を聞きながら、『愛してる.com』の歌いだしを聞いています。

 

愛してる.com
きみのすべてがのってるサイト
水属性弱いの

 

確かにこれは歌い出し。だけど、ライブで聞く「愛してる.comきみのすべてがのってるサイト 水属性弱いの」は、歌い出しである前に、『愛してる.com』なんです。『愛してる.com』は、最初から最後に向かって流れるんじゃない。最初から最後まで、『愛してる.com』なんです。

音は確かに進んでいくのに。

さっき歌われた言葉は、次の瞬間にはどこにも残っていないのに。

私の耳に届く音、歌詞、声、全ては、『愛してる.com』を形成する「一部」としてではなく、『愛してる.com』「そのもの」として、私の上に落ちてきます。
『愛してる.com』を形成するものはすべて、『愛してる.com』でしかないのです。

 

『愛してる.com』を聞く間、私は瞬間と永遠を同時に体験しているのだと思います。
もしかしたら、私は、『愛してる.com』を聞いている時、形もなく、跡も残さずに消えて行く「音楽」を「掴めて」いるのかもしれません。
そうだとしたら、とても嬉しい。

 

 

 

 

***

 

ずっと、一つの単語、一つのフレーズ、一つのセンテンス。言葉を構成するすべてに意味を求めてきました。

 

ここでなんでこの単語が出て来るんだろう?

なんで、この人は急にこんなことを言い出したんだろう?

 

どんなに気まぐれのように見えたって、そこに意味がないわけがない。生み出した人が意識していても、いなくても、言葉と言葉が同じ場所に居合わせた以上、そこには言葉と言葉の結び目があり、その結び目は、新しい世界を見せてくれる。その、編み目のように広がる世界が見たい。

 

文学、評論、論文、映画、音楽、芸術。全部、ぜんぶ、そうやって接してきました。

 

きっかけは、数年前。クソみたいな修士論文を書いた私は、誰かの焼き直しみたいなことしかできない私自身の頭の悪さにとどめを刺され、しかし、それでも死にきれず、生き伸びたいのなら周回遅れでも一からやり直すしかないのだと、言葉の受け止め方を変えました。具体的に言うと、本の読み方を変えました。自分を過信して、勝手に解釈して、分かったつもりで、読み進めるのをやめました。本を読むなんて、目の前で人が「喋って」いるようなものなのだから、自分の言葉は捨て、ひたすら耳を傾けるだけでいい。ひたすら読む。分からなければ戻る。私が今読んでいる哲学の本のワンセンテンスが分からないのなら、一つ前の文章をもう一度読めばいい。それでも分からないのなら1ページ遡ればいい。そこまでの論理を追いきれてないから、そのセンテンスが分からない、ただそれだけ。分からないのならどこまでも遡ればいい。100ページでも、1000ページでも。分かるまで遡り続ければいい。分からないまま次に行くなら、死ねばいい。

 

もっと早くこうやっておけばよかったと後悔しながら、私は、一つひとつの言葉を正面から受け止め、その言葉と、共に一つの作品を形成する他の言葉との関係性を辿ることを、諦めないと決めました。

 

だから、私は、その癖を大森さんの音楽にも適応し、一つひとつの歌詞の奥にある意味を、じっと探って、そこに生み出される意味というものを探してきました。(というようにして書いてきたのがこれまでのブログの記事たちです)。

 

だけど、『愛してる.com』は、私に、「意味」や「理由」を説明させなかった。

 

『愛してる.com』はいつも『愛してる.com』で、それ以上でも、それ以下でもない。
現場でも。
テレビでも。
『愛してる.com』は私の時を止めて、言葉が入り込む余地を与えない。意味を知りたいという衝動を呼び起こさない。

 

そうした、意味なくただただ「愛してる」「好き」という体験は、私が想像していた以上に軽やかで、私の心を楽しくしてくれます。
『愛してる.com』を聞くたびに、私は、もしかしたら、私は、意味というものに、頭を縛り付けられ過ぎていたのではないか、と思います。

 

別に、言葉に向き合う時の、意味への強迫観念のようなものを捨てようとは思わないけれど、私は、その強迫観念を、自分自身の感情や欲望にも、当てはめ過ぎていたのかもしれない。
私は理屈っぽい「タイプ」で、頭でJ-popを聞く「タイプ」で、曲を聞いてあーだこーだ言うのが好きな「タイプ」です。
だけど、もしかしたら、それは思い込みに過ぎなくて、大森さんの曲だって、もっと自由に、意味に囚われず、楽しむことだってできるのかもしれない。

 

**

 

思えば、昔から、ずっと、誰かの想像通りの欲望しか持てない自分が嫌で、自分自身や、自分の欲望に、何らかの付加価値を与えようと思っていました。
「○○が○○だから好き」「○○が○○として評価できる」
価値を説明できないものに、価値はないと思っていた。

 

だけど、この、私の「好き」という気持ち。
私が、きみを、「愛してる」という気持ち。
『愛してる.com』を聞いている私のこの瞬間、私の中に浮かぶ、私自身にすら説明できない、捉えることすらできないこの気持ちを、いったい、他の誰が想像できるだろう。
自分の中に自分でも「説明できないもの」「想像できないもの」があること。
『愛してる.com』はいつも、私にそれを教えてくれます。
そして、そのことは、「意味」や「理屈」への強迫観念から私を解放してくれるのです。

 

愛してる.com
きみのすべてがのってるサイト
水属性弱いの

 

「愛してる」なんて言葉、すぐ検索できるけど、どこにでもあるけど、誰にでも言えるけど、そのサイトを更新できるのは、私だけ。
『愛してる.com』の初回限定Boxを埋め尽くす、大森さんを描いた「絵」がそうであるように、じつと「愛してる」人を見つめ、「愛してる」人をそのまま見つめようとする視線は、その視線が真摯であればあるほど、「私だけの愛してる」を作り上げ、更新して行く。

 

『愛してる.com』は、「愛してる」の意味を探るより先に「愛してる!」って叫びたくなるような、自分の感情が私だけの「愛してる」を欲して勝手に躍動し出すような。そんな「愛」の創造的な衝動を私に与えてくれる一曲です。

 

言葉を奪われたので、『愛してる.com』という曲自体についてあーだこーだということはできないのですが。『愛してる.com』に出会えたという経験は、私にとってとっても素敵なものでした。

という話でした。

 

 

niwanotori.hatenablog.com

 

 

「愛してる.comちゃん」のこと