ニワノトリ

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大森靖子「SHINPIN」@『TOKYO BLACK HOLE』の感想 / Game OverとContinueの間にいるような気分で聞いてます

3/23に発売された大森靖子さんのアルバム『TOKYO BLACK HOLE』に収録されている、「SHINPIN」という曲が好きなので、その感想文を書きました。

 

 

 

■“戦車の東京タワー”って本当の話

「SHINPIN」には、こんな歌詞がある。

 

戦車の東京タワー
見殺しにした夢

 

この歌詞を聞くと、数年前に本で読んだ日本の戦後の風景を思い出す。

戦後、焼け野原になった日本には、とにかく鉄材が足りなかった。朝鮮特需で復興期に入っても、資材がなければモノは作れない。だから、屑鉄が飛ぶように売れた。
爆撃を受けた工場、崩れ落ちた鉄橋、瓦礫の山、赤茶けた錆の臭い。
それは敗戦の証。けれど、同時に、復興の糧でもあった。

そんな鉄需要に沸く日本に、米軍は大量の鉄材を提供した。米軍が払い下げた鉄材の中には、朝鮮戦争の戦車があった。競売にかけられた米軍の戦車を日本の解体屋が落札し、スクラップにした。戦車のスクラップは質が良かった。バラバラにされた戦車は東京タワーや東京都庁の建設に使用された。*1

 

前置きが長くなったけれど、だから、“戦車の東京タワー”って本当の話。
東京タワーには、朝鮮戦争の戦場を走った戦車が使われている。

“見殺しにした夢”。それもある意味本当の話。
スクラップになって、一度は破壊された夢。ちょっと前までピカピカの戦車だったのに、ちょっと前までアジア最大の砲兵工廠だったのに。爆撃を受けたら、それはもうゴミ。バラバラに解体されて、屑鉄扱い。屑鉄として溶鉱炉に突っ込まれ、彼らはもう一度、東京タワーという夢を作り出す。

爆撃を受けた街は、夢の残骸によって再生されたのだ。

 

新しいものはまっさらなところから生まれるんじゃない。
昔、そこにあったものがゴミになって、解体されて、その上に、新しいものが作られる。
かつてそこにあったまっさらな夢が、すでに「屑」でしかないことを知り、その焼け跡に近づくことのできる人だけが、次の "まっさら"の前に立つことができる。まっさらなままでは、 "新品"を始めることはできない。

 

そんな歌なんだと思って “SHINPIN”を聞いている。

 

 

■「新品」は、触れるか、触れられないか、その指先にある1mmの隙間の中にだけ存在している

 

誰にも触れられない世界ぐらいつくれなきゃせっかく汚れた意味ない

LONELY,LONELY,ロリ,透明,残酷

 

東京タワーがスクラップからできているように、処女が非処女から生まれるように。「新品」の根源には常に「かつて新しかったモノ」が埋め込まれている。

ならば、汚れること、壊れること。それは、次の「新品」を始めるということではないだろうか。

 

「新品」が「新品」である価値はどこにあるのだろう。一度履いた靴はもう新品じゃない。一度ヤッた女は新品じゃない。私が手に入れた新品は、その瞬間に誰かの「中古」だ。新品は手に入れた瞬間に既に新品ではない。誰も、永遠に、「新品」を手に入れることなんてできない。新品には誰にも触れられない。だけど、誰かが手を伸ばさなければ、「新品」に「新品」としての価値はない。

「新品」は、触れるか、触れられないか、その指先にある1mmの隙間の中にだけ存在している。

 

新品, SHINPIN,神秘

 

「新品」は常に受け身だ。汚されて、壊される
けれど、もしかしたら、それは錯覚かもしれない。「新品」に逃げられ、踊らされているのは私たちの方かもしれない。
「新品」はいつも、それを手に入れようとする人の先を行く。手が届いたと思った瞬間には、もうすでに半歩先にいて、どんどん先へ逃げて行く。「新品」はいつも、誰にも触れられない世界を、届きそうで届かない場所に作り続ける。

新品は、「新品」と「かつて新しかったもの」の狭間にしか存在しえない。

 

 

■"SHINPIN"には、始まるようで始まらない世界が広がっている。

 

だから、“SHINPIN”を聞いていると、世界と世界の境界面に立っているような気分になる。
新品と中古、破壊と再生、生と死、部屋の中と外……など。

新しい世界の始まりは、前の世界の終わりを意味するが、"SHINPIN"の中には、前の世界が終りかけていて、でも次の世界も始まり切れていない。そんな、始まるようで始まらない世界が広がっている。

 

後ろのドアはもう閉まってしまったのに、次の世界の扉が開かない……その中途半端な間隙をついて来られたような感覚。

 

生きてる力で勝ってみな, 気まぐれの死にたいに勝ってみな

社会に勝ちたい,部屋を出ずにね

 

上記の歌詞では、死にたいの気持ちが詰まった部屋の中で、次の世界に続くドアが見え隠れするけれど、その向こう側にどんな結果が待ち受けているのかまでは分からない。

勝つのか、勝てないのか。
次の世界が本当に始まるのか、始まらないのか。
そこで、自分は死んでいるのか、生きているのか。


"SHINPIN"は物語が何らかの形で次の段階に移行しようとする、その直前の瞬間を丁寧にとらえている。
そこにあるのは「直前」だけで、物語は始まらない。レールを走っても走っても同じ駅に戻って来てしまう、 “マトリックス”のあの地下鉄の駅のように、歌が進んでも、進んでも、「結末」は見えて来ない。ただ、一つの物語が終わり、次の物語に移行しそうな「気配」だけが漂っている。

 

 

 

だから、"SHINPIN"には、何かと何かの「狭間」にあるものが似合うと思う。


例えば、東京行きのバスに乗っている時間。
映画に描かれた、通り魔が車のアクセルを踏む直前の叫び声。
処女を失う直前の痛み。
じゃんけんで、こぶしがパーの形に開くその瞬間。
言っちゃいけない本音を言いそうになる瞬間。

 

“SHINPIN”を聞くたびに、私の頭の中には様々な決定的な瞬間が訪れ、世界が決するその直前の光景が頭の中でぐるぐるとザッピングされ続ける。
曲が終わるまでザッピングは終わず、"SHINPIN"のチャンネルはいつまでも定まらない。

 

この定まらなさと、つかめなさが、どうしても手に入れることのできない “SHINPIN”そのものなのかもしれないけれど、この言葉もかなり陳腐で全然 “SHINPIN”をとらえることなどできていない。

 

追っても追っても、何を追っているのかよく分からない。
私のような、頭と言葉で理詰め理詰めで考えようとする人間は、聞けば聞くほど頭の中をあっちにこっちに振り回されて、“SHINPIN”を聞くたびに、船に酔ったような気分の悪さを味わうと思う。
だけど、何度も聞けば“SHINPIN”にいつか追いつけるんじゃないかと何回も聞いてしまう。だけど、追いつけない。追いつけないと分かっているのに追いかけてしまう頭の愚かしさ。それがだんだん快感になってくる。

 

 

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“SHINPIN”は、「瞬間」がぶつ切りにつなぎ合わされたような不思議な曲だ。
この曲には、決定的な瞬間が訪れるその直前の瞬間の心地悪さと快感が同居している。
この奇妙な気持ち良さを一度体験してほしいから、みんなに大森靖子『TOKYO BLACK HOLE』を買ってみてほしい。

 

 

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*1:この部分、生方幸夫(1994)『解体屋の戦後史 繁栄は破壊の上にあり』(PHP研究所)や、ユリイカ(1996)の臨時増刊号『悪趣味大全』に掲載されている巽孝之の「 <鉄男>が時を飛ぶ--日本アパッチ族の文化史」を参照して書いておりますが、この二冊、とても面白いので読んでみるの超お勧めです