ニワノトリ

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大森靖子「夏果て」@『魔法が使えないなら死にたい』の感想文/少女は夏果てに辿り着き、おっさんは季節を繰り返す

このブログでは、大森靖子さんの『魔法が使えないなら死にたい』の感想を一曲ずつ書いていくシリーズっていうのをやっていまして、この記事は、このアルバムの6曲目、「夏果て」の感想文を書いています。

 

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大森靖子「夏果て」は、おっさんが少女を監禁する歌である。
この曲は、曲の始まりから終盤まで、大半は監禁された少女の視点で歌が進むが、少女がおっさんに殺された後は、視点がおっさんに移る……というような構成になっている。

 

『魔法が使えないなら死にたい』が発売されてからすでに3年(!)が経っているのだが、改めて、この曲の少女パートとおっさんパートを聞き比べてみると、少女とおっさんでは、明らかに「物を語る力」に違いがあるように思える。

 

というのも、「夏果て」は3:33秒という非常に短い曲なので、歌詞も決して長くはない。
しかし、少女はとても少ない文字数でもって、自らに起きた、その決して平易ではない異常な出来事を、聞き手にその温度ごと伝わるような言葉遣いでさらりと語りあげてしまう。

 

帰れないってわかってた
でもみんなの遊びじゃ退屈で

 

仄かなひかりで時々目覚め
照らされた身体がだらしなく
いちばんかわいいときの私は
どうやっていたんだっけな

 

私は老婆でおっさんは子供
そうだったのかもしれないね
私は何も思い出さずに
目の前の恋をする

 

殺されるとき流れてた音楽
時は止まらずに連々と
さいごの言葉 さいごのごはん
噛みしめる暇はない

 

夏バテ 夏の果て
くたびれた 夏のはしっこを
君の匂いにむせて
ついにほどいた

 

一人の少女が、監禁され、これまでの日常から切り離され、おっさんとの生活が自らのすべての日常となり、その末に死を迎えるまで。
そこには、起承転結をつけられるほどの「物語」が確かに存在している。
「夏果て」という曲の中で、少女は、自分自身の「死」を、"少女のひと夏の物語"として、その始まりから結末まで語り切っている。

 

一方のおっさんはどうだろうか。

 

殺した時のさいごの柔らかさ
俺は絶対に悪くない
正しい息をしたかっただけ
君もきっと同じだろ

 

一年振りの夏なのに
君の裸を眺める夢をみて
冷凍庫に転がる頭にKissして
涼しい昼下がり

 

 

「夏の果て」という物語の終りに辿り着いたかに見える少女に対し、おっさんはずっと同じ夏の中にいて、冷凍保存された夏の中で、君の裸を眺める夢を見続けている。

 

「いちばんかわいいときの私」を部屋の外に置き去りにして、「目の前の恋を」した少女と比べると、「俺は絶対に悪くない」というおっさんは、最初から最後まで頑なに、自らの世界を変えようとしない。
一つの曲の中で色々な顔を見せ、想像力を掻き立てる少女の物語に対して、おっさんの物語は一様だ。強固に守られた自我は同じ夏を繰り返し、そこから抜け出すことができない。

 

夏の始まりから物語を始め、ついに夏の果てにまで辿り着いた少女の物語りに対して、おっさんは、同じ色をした世界に留まるばかりだ。おっさんは、夏の果てに辿り着かないまま、一年経ってもまだ"あの夏"を繰り返している。

 

 

 

少女パートとおっさんパートは、その語り口にも違いがある。
おっさんパートは、「俺は絶対に悪くない」「君もきっと同じだろ」と自分の世界を色濃く、強く押し出すのに対し、少女パートの語り口はどこか淡々としている。

 

帰れないってわかってた
でもみんなの遊びじゃ退屈で

 

これは、「夏果て」の歌い出しだが、歌い出しの時点ですでに、少女の眼差しは、すでに結末を知っている三人称の小説の語り手のように冷静だ。
それもそのはずで、「夏果て」という物語を語り始めたその時、少女は、すでに結末を知っているのだ。「始まり」と「終わり」がなければ、物語は成立しないのだから。

 

私は老婆でおっさんは子供
そうだったのかもしれないね

 

「夏果て」において、「私」は、物語がこれから始まるワクワク感を追い求める「子供」ではなく、物語の終りを悟った老婆のようだ。
「私」は寝る前の子供に絵本を読み聞かせる老婆のように流暢に、淡々と物語を語り、おっさんは、アイスを欲しがる子供のように「君もきっと同じだろ」と独善的に自分の欲望を突き通す。
おっさんと二人きりの部屋の中で、「私」は、「私」にあったできごとを、「私」とおっさんの間の関係を、物語として語り聞かせることができるまでの老成した言葉と想像力を手に入れた。
しかし、同じ部屋の中で、おっさんは、ほしいものをほしがる子供のまま、子供として生きようとし続けている。

 

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「夏果て」は、同じ部屋で、同じ体温を共有したおっさんと少女の世界が、季節を共有できずに、違う夏を作り上げている。同じものを見ていても、決して同じ現実を共有できない二つの夏が、「夏果て」という一つの曲の中で交錯することで、そこにしかない風景、体温が浮き彫りになり、誰にも知りようのない二人だけの夏の存在を、聞く者に想像させる。

 

「夏果て」は、聞き手の中に異なる温度の夏が同時に訪れる。そんな曲なのではないかと思う。

 

 

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私の感想文は以上ですが、「夏果て」は、ねもしゅーさんこと根本宗子さんが舞台化をされてます(大森さんが二人も出てくるし、大森さんも出ている)。

もちろん、おっさんが出て来るんですが、このおっさんがまさかの鳥肌実さんという。「夏果て」を舞台化……と聞いて、多くの人がイメージするであろう世界とは全く違う、やかましくて、アイスが溶けたやつみたいにドロドロした女子の世界が広がる、何だか不思議なお芝居でした。

 

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この舞台、ポスターで大森さんとねもしゅーさんがWのパロディやってるんですよ。
この時点でもう高まったよね……。

 

ということで、ぜひ、「夏果て」と合わせてWのこの曲も聞いてみてね❤

 

 

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後、個人的には、「夏果て」を聞くと、桐野夏生残虐記』という小説を思い出します。『残虐記』も少女監禁をモチーフにした小説ですが、作家の「自分は監禁事件の被害者だった」という手記という体裁で進んで行くんです。
私がこの記事で、しつこく、物語がどうのこうの言ってるのは、かなり、『残虐記』の影響を受けているし、文庫本の松浦理恵子さんの解説や、「新潮 」での桐野さんと松浦さんの対談「残虐な世界の言葉」も影響を受けています。

 

 

 

 

 

以上、読んで頂いてありがとうございました! 

 

大森さんの最新アルバム『TOKYO BLACK HOLE』発売中だよ!

 

 

 

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