ニワノトリ

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その壁を超える前に振り返れ。/大森靖子「TOKYO BLACK HOLE」の感想~延長戦~

大森靖子さんのアルバム『TOKYO BLACK HOLE』の一曲目、「TOKYO BLACK HOLE」の感想文です。

 

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ある小説を読んでいたら、こんなセリフが出て来て、 「TOKYO BLACK HOLE」のことを思い出した。

 

[…]「おそろしくなるほどごうまんだなあ」とつぶやいた。「なにをみてきたというんだよ、なにをみたというんだよ」*1

 

 

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大森靖子さんの「TOKYO BLACK HOLE」

この曲を聞いていると、僕は、時々、その傲慢さに、背筋が震えるような気持ちになることがある。

 

街灯
はたらくおっさんで ぼくの世界がキラキラ
人が生きてるって ほら ちゃんと綺麗だったよね

 

はたらくおっさんは、みんなが住む「街」ではなくて、「ぼくの世界」をキラキラさせているという感覚。

そんな「ぼくの世界」のキラキラを、「人が生きてる」ことの美しさへと、普遍化させてしまう感覚。

「人が生きてるって ほら ちゃんと綺麗だったよね」なんて、人間のことなんてすっかり忘れていた気まぐれな神が、久々に地球を見下ろして言う台詞のようだ。

なにをみたら、なにをみてきたら、神のように、すべてを掌握したかのように、街を眺めることができるのだろう。

 

今すぐに消えちゃうすべてを歌っていくのさ

 

消えちゃうすべてを歌うだなんて、それこそ、神の所業じゃないか。

 

 

 

 

けれど、「TOKYO BLACK HOLE」をよくよく聞いてみれば、この曲は、世界を掌握仕切った傲慢というよりは、むしろ、自分自身の人生が「思い通りに行かない」をこそ歌っているのだった。

 

ZERO SONGS
駅前開発で駄菓子屋が潰れた
水風船の爆弾で僕がこの街を壊すはずだった

ZERO SENSE
体育倉庫で僕の裸が君を想って捩れる動画があいつから届いたんだってね

 

「水風船の爆弾で僕が」壊すはずだった街は、駅前開発が取り壊す。
捩れる僕の想いは、「あいつ」のスマートフォンが暴き出す。

駅前開発が僕の想いごと駄菓子屋を潰したように、僕の内側にある想いは、いつも、僕ではない誰かの力によって、壊されてしまう。

そんな壊された想いを抱えた僕に起きる出来事と言えば、

 

ビル風スカートが浮かぶ 赤い染みのパンティと目が合った

痛みがわかるよだなんて弱い正義で今宵射精

 

目が合った。
今宵射精。
僕が僕の目と手で手に入れた出来事は、駅前開発に比べれば、あまりにも、一瞬で、ちっぽけで、無力で、些細で弱い。

だからこそ、「やるせなさ」だけが僕の心の中に残る。

 

僕の人生はいつだって弱い。

僕が抱いたどんなに熱い想いも、切実な想いも、誰かに伝わる前に、他の誰かが「お前の気持ちなんて、こんなに下らない」と破り捨ててしまう。

 

 

 

僕が死ねばいいと願った奴は 一人残らずいつか必ず死ぬだろう
忘れるさ
最初から希望とか歌っておけばよかったわ
忘れたわ

 

僕が「死ねばいい」と願った奴も、僕の「お前なんか死ねばいい」という願いとは関係ないところでみんな死ぬ。人間の普遍的な運命として、いつか、どこかで、死ぬ。だから、僕の呪いは成就しない。届かない。
だから、この呪いは、「忘れる」しかない。

ならばいっそ最初から呪いではなく、希望とか歌っておけばよかったのかもしれないのだけれど、そんな後悔は先に立たない。最初から希望とか歌っておけば良かったのに(なぜそれができなかったのか)という問いは再び自己嫌悪の呪いとなって、「忘れるさ」と何とも唱えなければならないほどに、僕の人生をこそ縛り付ける。

 

こうして、 「TOKYO BLACK HOLE」は、どこまでも、僕の想いと、その想いが抗えない大きな現実に誠実な言葉を歌い続ける。

 

「僕にとって特別なこと」も、もっと大勢の誰かの中に紛れれば「よくあること」だ。
「僕が、今感じている僕だけの特別な感情」は、僕の手を離れれば、特別さを失って、一瞬にして「あるある」に変わってしまう。

厨二、メンヘラ、引きこもり。
自己顕示欲、承認欲求。

情報に溢れたこの社会で、僕を捉える言葉など吐いて捨てるほどあって、僕の想いは、すぐに、その網の中に囚われてしまう。

こんなに誰かに容易く語られる人生は、クソダサい。

という

 

やるせなさ

 

時に、この「やるせなさ」は、僕を押しつぶし、定義する街を、いっそ、爆弾で壊してしまえばどうかと、僕に、囁いて来る。

 

 

 

 

しかし、だからこそ、僕は、「TOKYO BLACK HOLE」を聞き続けなければならない。

「TOKYO BLACK HOLE」に差し込む街灯が、僕に、僕が、僕の言葉で、街の風景を捉えるための言葉をもたらすからだ。

 

街灯
はたらくおっさんで ぼくの世界がキラキラ
人が生きてるって ほら ちゃんと綺麗だったよね

 

「美しい」
僕がそう感じる感性を、そこに留めるように街は輝く。
その「美しさ」を足掛かりに、僕は、はたらくおっさんを、人がいきることを、「ぼくの言葉」で歌う。その言葉は、ぼくに、ぼくの世界を取り戻させる。

 

夜の海
水面をうつろう光に飛び込め この街は僕のもの

時がきた今 捉えてよ 今すぐに消えちゃう全てを歌っていくのさ

 

僕は、街に背を向けるのではなく、飛び込む
「美しい」と感じたその瞬間。その一瞬を映し出した水面に飛び込んで行く。
僕は、僕の一瞬が他の誰かの言葉に奪われる前に、その瞬間を手に入れようとする。

 

地獄地獄 見晴らしの良い地獄

 

「TOKYO BLACK HOLE」の僕は、誰のものでもない、僕だけに見える風景を手に入れるために、壁をよじ登り、見晴らしの良い場所に行く。そして、そこから見える風景を、他の誰かに奪われないように、歌を歌っている。

 

だから、僕は、傲慢にならなければならないのだと思う。目の前の光景を僕だけのものにするために。

 

「おそろしくなるほどごうまんだなあ」とつぶやいた。「なにをみてきたというんだよ、なにをみたというんだよ」

 

なにもみえないから、みえるようになるために、傲慢になるのだ。

 

 

せめて、この歌が流れる間のうちは、君の目が捉えた「一瞬」が、君だけの「一瞬」であるように。君の「一瞬」が他の誰かに奪われないように。

 

私は、「TOKYO BLACK HOLE」に、そんな願いと祈りを感じている。

 

 

 

 

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