ニワノトリ

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大森さんとロッタラブ/大森靖子『TOKYO BLACK HOLE TOUR』@ZeppTokyoの感想文です

昨日、2016年11月18日にZeppTokyoで行われた、大森靖子さんの、2016年全国ツアー『TOKYO BLACK HOLE TOUR』のファイナルに参戦してきたので、感想文を書きました。

 

感想っていうか、ほぼ一人語りですが。

 

※一曲、セトリのネタバレがございます。ご注意ください。※

 

 

私は、大森靖子のファンとして、もっと有名になって、人気になっている大森さんがみたい。これは本音。
けれど、それ以上の本音として、「私のように大森靖子を好きなのは、私だけだ」と思いたい気持ちがある。愛は愛の上に愛を作ったりはしないので、「好き」の量を測って比べることなんてできないけれど、それでも、私はどこかで「私が大森靖子を好きな気持ちに他の誰かが追いつかなければいいのに」と思っている。一番好き、とは言わないまでも、「私にだけしか聞こえない大森靖子がある」と確信をしたい。そんな気持ちが、常に、心の中にある。

けれど、Twitterで、Blogで、たくさんの人が大森さんに対して「私だけにしか聞こえない大森靖子」を持っていることを知った。感銘もした。

世の中には才能と努力の塊のような人が大勢いて、その人たちが真摯に描いた「大森靖子」には、いつも圧倒されてしまう。「そうだよね、大森さんってそうだよね」という共感。それ以上の感服。絵として、文章として、その人が描いた「大森靖子」の完成度が高ければ高いほど、「私にはそこまで突き詰められない!」という敗北感に襲われる。

 

だから、ファンとして最低な本音を言えば、Zepp東京みたいな大きな箱でライブなんてしてほしくなかった。
大森靖子という人を、大勢の人が知れば知るほど、「私だけの大森靖子」が、私だけのものでないことを、突きつけられてしまう。
私は、大森靖子を好きになれば、人生がこんなにも支えられることを知っているから、大森靖子がもっと売れるべき存在であることも知っている。けれど、自分の人生に、大森靖子という人がこんなにも大きくかかわってきているから、大森靖子が好きという気持ちを独占できなければ、自分の人生が、自分だけのものではなくなってしまう気がしてしまう。
自分の気持ちなんだから勝手に独占していればいいのだけれど、けれど独占しきれるほどに、私は、確固とした実力も自信も、持っていない。情けないことに。

 

だから、思い返せば、これまでに行った大森さんのライブでは、ライブに来ている「私以外の」お客さんは、全員、風景に過ぎなかった。
彼らはみな、私が「私だけが見た大森さんのライブ」を作り上げる(ための)存在でしかなかった。おこがましい話だが。

 

 

 

けれど、昨日、ZeppTokyoで見た大森靖子のライブでは、そうはならなかった。
ピンク色のライト、「ヲイヲイ」という掛け声、合唱、振り。
昨日のライブでは、お客さんの声、動作がよく聞こえたし、よく見えた。
「私たちは、この人たちと一緒に声をあげて、踊っているんだ」という感触があった。

 

そうなったのは、ほかならぬ大森さんが、"「客」の声が大森靖子の音楽の一部になり、大森靖子のライブを作り上げているのだ"という確信を持たせてくれたからだ。

一番象徴的なのは、やはり、「オリオン座」。

 

 

ライブ会場の入り口で歌詞が配られ、客とともに合唱をするこの曲は、まさしく、この曲は「客」の存在なくして成り立たない。

昨日のライブで配られたフライヤーに、「あなたのかけがえのない感情の機微、生活のひだ、そのすべてが今日の●の材料です」と書いてあったけれど、大森さんは、「あなた」がこのライブに必要だということを、ガチで、本当に、客に実感させるために、いつも、ライブに、様々な仕掛けを施してくれる。

「オリオン座」のように分かりやすくはなくとも、私はZeppTokyoで、大森さんが客にマイクを向ける度、その音楽自体のボルテージが上がるのを確かに実感した。

 

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ライブで配られた歌詞カードとフライヤーです

 

そして、それ以上に。


ステージの上で演奏をしている新●’zのメンバー一人ひとりが、ステージに呼ばれたゲストの一人ひとりが、ステージの上のセットが、ライティングが、衣装が、その人にしか鳴らせない音・表現を暴れさせていたこと。

このことが、「「客」の声が、大森靖子の音楽の一部になり、大森靖子のライブを作り上げている」と実感できた、一番大きな理由だったと思う。

昨日のZeppTokyoに、大森靖子だけが主役なのだ」とは思えるようなステージはなかった。ステージの上の誰を見ても、どこを見ても、そこが中心だった。私は、大森さんを見に行ったのに、他の誰を見ても、飽きなかった。

ステージの端から、客席の後ろまで。大森靖子という人は、「全員が主役」となりうる、ライブ空間を作ろうとしていた。そして、実際に作り上げていた。

だから、私もここにいる人全員のエネルギーで、このライブ空間を作っているのだと確信することができた。
あのライブには、確かに、「私(たち)がこのライブを作っている」という手ごたえがあった。

オリオン座には「心の黒い穴は同じ誰かへと繋がる」という歌詞があるけれど、大森さんは、本当に、あのライブ空間の中で、ステージと客席全体を繋げてしまった。
私の中から隣の人と自分の気持ちを比べる卑屈な感覚は消え、私は、隣の人とライブを作り上げる「ハンドメイド」の、ゾクゾクとする感覚に夢中になった。

 

大森さんはライブでいつも、「あなたたち、一人ひとりが大切だ」ということを言ってくれる。けれど、今まで、どんなライブに行っても、私は、自分自身のことしか考えていなくて、他の「ひとり」の存在を知らなかった。
でも、昨日のライブは、ZeppTokyoに集まった2000人の観客の顔が、私にも見える(気がする)。そんなライブだった。

 

ライブにはステージと客席があり、演奏する人と観る人がいる。
観る人は音楽を受容する。けれど能動的に感動する。
ライブ後のツイッターのように観る人の感動が形になるには時差があるわけだけれど、昨日の大森さんのライブは、リアルタイムで客の反応をキャッチし、ステージと客席の関係性自体をライブにしてしまった! それは、ライブというアートのようだった。

 

思えば、今回のライブのグッズの一つ「意識高いT」。

 

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アートのように高い意識をポップに背負うことを強要されて、このライブに参加する人は皆、最初から、「私がライブを作る」という高い意識を持つように仕組まれていたのだろう。

 

2000人が集まる箱の中で、あれくらい胸いっぱいの愛が溢れた空間を体感してしまえば、もう、私は「大きい会場に行かないで」などという、ファンとして最低な本音など持たずに済むと思う。

大森さんには、絶対に武道館に行ってほしい。1万人でライブ空間をハンドメイドする大森靖子が、私は見たい。