ニワノトリ

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一人で行った #大森靖子シンガイアツアー ファイナル@新木場STUDIO COAST

僕は僕が書いたものが嫌いだ。面白くない。ワクワクしない。美しくない。書けば書くほど頭の悪さが露呈して、才能のなさが露呈して、これを書いているのが僕でなければいいのにと思う。僕が見たもの、読んだもの、聞いたもの。あの豊潤な世界がこんなにも平板になる。ぬるく、底の浅い言葉に矮小化されて行く。だから、毎日、毎日、どうしようもないものばかり書いて、人に迷惑をかけてしまう。「これじゃだめだね」。僕もそう思う。一つ、文字を打ち込むごとに、「死ね」という声が聞こえる。死んでしまえ。言葉が生まれるとき、そこに僕はいらない。死んでしまえ。いなくなれ。
 
昔はよく書いていたブログを最近はあまり書かなくなった。けれど、僕は今から大森さんのLIVEを見た記憶を書く。これは、「大森靖子のLIVE」を見ながら決めたことだ。〈私の天国へようこそ〉。大森さんが叫び、"LIVE(生きる)"と天国が交差した時、僕は、今、ここで蠢いた僕の生の証を立てなければならないと思った。そのためには書くしかない。僕は他に方法を知らない。書くしかない。死んでも、死んでも、書くしかない。どんなに下らない言葉が生まれても、どんなに矮小なものしか書けなくても、僕はLIVEを見た僕を死なせないために、この文章を書く。

2019年11月13日。仕事を早めに抜け出して、それでも会場に着いたらとうの昔に僕の整理番号は終わっていた。開演間近の会場にはお客さんの頭が海のように広がっていて、既にステージの上はよく見えない。僕は会場の一番後ろに行って、壁に背をつけた。最近ずっと胃が痛い。二時間立ちっぱなしでいる自信がない。
後ろの方だからか、ライブTシャツを着ている人は少ない。スーツを着た男性が首を伸ばしてステージを覗き込んでいる。ピンク色の服を着た背の低い女の子が行ったり来たりして、ステージが少しでも見える場所を探している。彼らの更に後ろにいる僕には、もちろん、ステージの上のバンドセットすら見えなかった。僕に見えるのは凸凹と並んだお客さんの頭の上に広がる、生肉のピンク色をした大きな花だけだ。ステージの奥に飾られたそれが青柳カヲルさんの絵だということは、会場に入った時から気が付いている。生のライブの音を聞いて、あの絵が見られれば、それで十分だと思う。
実際、ライブの最初から最後まで、一度も大森さんの姿は見えなかった。しかし、それは僕がこのLIVEを「見る」上で何の問題もなかった。一曲目の『ミッドナイト清純異姓交遊』。会場の光が落ち、ステージが明るくなって、サイリウムを握った手をステージに伸ばすサラリーマンの背中が見える。ペンライトを持っていない女の子も手を上げている。僕の視界を埋めるすべての背中が、LIVEの始まりを歓迎していた。僕には背中しか見えないのに、それは真っ黒な影でしかないのに、彼らが「ついにライブが始まる」という期待に溢れているのがよく分かった。多くの人の喜びがここにある。美しい光景だった。Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Re: Love。背中の一つひとつが、ステージの音楽に愛を返している。ステージの光と音楽を受けとめるこの後ろ姿の稜線を、お客さんたち自身も、大森さんもシンガイアズも見られないことをとても残念に思った。
 
人々が手を伸ばした先から、大森さんの歌声が聞こえる。シンガイアズの音楽は大森靖子を見るために集まった多くの人の海の底から響き上がって来るようだ。ドラムのリズムがキリキリと痛む僕の胃を突きあげる。唸るような音楽に包み込まれて、自分もその海の中にいるのだと気が付く。ここはノアの方舟なのだと思った。みな待っていた。この世界を渡ることのできる舟を。だから我先にと手を伸ばす。しかし、大森さんは方舟に乗る者を選別するより、一人ひとりの身体が、この世界を渡る船であることを示すだろう。ステージの上には肉体を開いたかのような花が咲いている。「肉体こそ最高のユニークな服である」。僕は目が悪いから、ライトの加減によって、その花が海の上で翼を広げた人の姿に見えたり、十字架に掛けられた誰かの姿に見えたりする。
 
〈殺せ〉、〈殺せ〉、〈殺せ〉、〈殺せ〉。
『ZOC実験室』のリズムに合わせて、僕は手の中のペンライトを何度も降り下ろす。僕の耳元でずっと聞こえている、死ね、死ね、死ね、死ね、という声を一つずつ突き刺さねばならなかった。そうしなければ、最後のあの歌詞、〈生きろ〉に辿り着けない。しかし、殺しても、殺しても、あの一言が蘇って来る。「これじゃだめだね」。足りない実力、ペコペコ謝るしかできない自分。頭の中にステージの外の出来事がフラッシュバックして、「死んでしまえ」と囁く僕の声が聞こえる。
しかし、フラッシュバックに足を攫われそうになるたびに、シンガイアズの音楽のうねりが僕の気持ちごと巻き込んでステージの方に焦点を合わせるのだった。これが生の音楽(LIVE)というものなのだと思う。ただそこに立っているだけなのに、お前は確かにここにいるのだということを身体に知らしめるように空気は震える。〈生きろ〉という歌詞を、ダイレクトな空気の震えで身体に伝える。この空間をタトゥーとして全身に刻み込みたいと思った。きっと、僕はこのライブが終わったら、また、「死にたい」とか「死ね」とかそういう毎日に戻ってしまうから。ステージに広がる花弁の真ん中に、真っ黒な穴が見える。正直、うんざりしていた。掘っても掘ってもどこにもつながらない僕の「死にたみ」に。塗り潰しても明度を上げたら透けてしまうような僕の〈心の黒い穴〉に。自分で決めた仕事なのに、すぐ「死にたい」とか思う自分の心に。
 
〈僕だって生きる才能なんてない〉。高速のリズムに合わせてステージを照らすライトが明滅する。気付いたら涙が溢れていた。自分の中に、外に出すことができるものなど何も残ってないと思っていた。だから、ライブが始まってから声を出していなかった。しかし、声の代わりに涙が出てきたのだった。自分の中に、それでも外に出ようという感情があるのだということに気が付く。これが大森靖子のLIVEなのだと思い知る。僕の身体が感情のステージであることを、僕よりも先に身体が思い出す。
DIE! DIE! DIE! DIE! 観客の叫ぶ声が聞こえる。その声に合わせて、僕はもう一度ペンライトを振り下ろす。
 
〈TRY DIE YOURSELF!〉
 
ステージを見る。涙で視界がぼやけて、肉色の花の中央に人の顔のようなものが浮かびあがったように錯覚する。それは、朝、仕事に行く前にシャツの下に着こんだ、意識高いTシャツの大森さんの顔に似ている。
 

 
ステージが見えなかったから、「JUSTadICE」と「流星ヘブン」でrikoさんがゲストで来ていたことに気付けなかったのだが、その代わりに目撃できたものもあったと思っている。MCでも出てきたミラーボールは、ピンク色のサイリウムの光を散らしてとても綺麗だった。飽きることなくじっとステージを見る観客の後ろ姿はいつまでも美しかった。青柳さんの絵は観客の海の上に灯台ではなく黒い穴を翳し、ステージの奥へ亜空間を広げていた。家に帰ってTwitterを見て驚いた。僕に見えていたのは青柳さんの絵の上半分に過ぎなかったから、本当にそこに船が描かれているとは思っていなかったのだ。船が浮かんでいるのは、海ではなく「かわ」だったけれど。
 

 


僕は確かに見た。シンガイアズが奏でる音楽の川を。川を渡る観客の背中を。その向こうにある天国を。〈私の天国へようこそ〉。LIVE(生きる)という天国。
 

 
LIVEから三日が経った。今、LIVEの夜から少しずつ書いていたこの文章の続きを、仕事終わりのホテルの部屋で書いている。あの日、僕の「死ね」は「生き延ばす」に変わった……という「結末」を書いてみようかとも思ったが嘘はつけない。今日も相変わらず僕は僕に「死ね」と呟き続けている。
でも、今日は少しだけ仕事がうまくいった。明日はうまくいかないかもしれない。また胃の痛い日々が続くだろう。けれど、この文章が僕が「生」の天国を見たことを証づけることが、僕を励ましている。まだ、「書きたい」とか、そういう感情が残っていたのだから、あと少し、もう少しずつ、頑張ることができると思う。