ニワノトリ

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Maison book girl『レインコートと首の無い鳥』@『elude』の一つの解釈

Maison book girl『レインコートと首の無い鳥』の一つの解釈/藪の中へ駆け込み訴え(ない)

 

 

 

この記事では、2018/06/20にリリースされた、Maison book girlさんのシングル『elude』に収録されている、『レインコートと首の無い鳥』についての解釈を書いています。

 

■『レインコートと首の無い鳥』と "re:cord"の不可能性

PCにCDを取り込めば、私たちは何度でも同じ音楽を聞けると思って再生ボタンを押す。円盤に記録されていたデータは、壊れるまで同じ記号を再生し、同じ音を聞かせてくれる。複製された芸術、何度もリピートできる音楽。それが、現場(ライブ)とは異なるCD(record)の特性であり、私がCDを買う理由の一つだ。気に入った曲は何度でも聞きたい。イヤホンをつけていないのに、頭の中で、何度も繰り返されてしまうほどに。

 

しかし、Maison book girlの『レインコートと首の無い鳥』という曲はそうしたCDの、複製芸術としての性質を逆手に取り、「繰り返し」の不可能性・さっきまで聞こえていたものを二度と聞けないかもしれないという不安・覚えていたはずのものをもう思い出せない恐怖。そうしたものを聞き手に想起させる一曲ではないだろうか。

 

 


こちらのインタビューによれば、「人工知能に忘れることを覚えさせ、その忘れていく過程を描く」ことが『elude』のテーマなのだという。
確かに私の家に届いたCDジャケットを確認してみれば、黒い文字で書かれた歌詞が読み取れないほどにところどころ、黒く滲んでいる。それはあたかも記憶の欠損を示すかのようだし、あんなに好きだったのに思い出せなくなった歌詞の一節のようでもある。

 

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このジャケットが単に歌詞の記録を目的としているのなら、このデザインは失敗である。「あれ、どんな歌詞だっけ?」と思い出そうと、この歌詞カードを読んでも、全ての言葉を即座に読み取ることはできない。
しかし、きっと、この書き記された歌詞は、既にどこかで歌われた言葉を焼きつけるためのものではない。
「あれどんな歌詞だっけ?」と思い返そうとCDジャケットをめくっても、かつて聞いたはずの言葉に辿り着けない。聞いたはずの言葉が黒くぼやけ、塗りつぶされている。このジャケットは、「かつてあったはずの記憶の欠損」を、聞き手がCDをジャケットを手にしたその瞬間から予感させている。


私が購入したのは、CD(≒record*)なのだから、一度聞いたものを繰り返し確かめることができないなんて、ありえないのだけれど、「レインコートと首の無い鳥」とは、そうしたことが起きてしまう一曲なのだ。

 

 

そういえば、この曲の歌詞の構造もそうではなかっただろうか。
この曲のジャケットには、一番と二番までの歌詞が書いてあるのだけれど、この曲は、一番から二番までを歌った後に、もう一度、一番と二番のサビが繰り返されて曲が終わる……という構造になっている(他のJ-POPにもよく見られる構造だ)。

しかし、この最後の「繰り返し」において、サビの一部は欠損する。

レインコート揺れた。
行方を捜した。
夢の足音から虹が薄れて夢を (ここで歌声が途切れ、次のフレーズに移る)


曲中において、既に「繰り返し」は不全なのだ。


一方で、この曲は、曲の終りにおいて「再生」あるいは「リピート」を想起させる構造を持っている。例えば、↑で参照したインタビューにおいて、メンバーの井上さんは次のように言っている。

 

今回、「AIに覚えさせたことを忘れさせる」というテーマですが、「レインコートと首の無い鳥」の振りの中にも、イントロでやった振りをアウトロで巻き戻す振りが出てきます。そこって一度忘れたものを巻き戻し、また冒頭へ戻って繰り返すという印象としても捉えれて、そこにも面白さを感じました。

http://www.musicvoice.jp/news/20180628097584/2/ 


実際、音楽だけを聞いていても、『レインコートと首の無い鳥』のアウトロはイントロを繰り返しているようにも聞こえ、もう一度、この曲が頭出しされるような、「始まり」の繰り返しを予感させる構造を取っている。
しかし、曲中において、こうした「頭出し」とリピートは失敗を予感させる。欠損した歌詞、うまく行かない繰り返し。


この曲をリピートすればするほど、一度聞いたはずの音をもう一度聞けない「かもしれない」不安が胸の中に積もって行く。

できるはずの繰り返しが不可能性を孕んで行く。『レインコートと首の無い鳥』はそんな一曲であると思う。

 

*record(re:cord)
 re:back / again
 cord:cor =heart

※Oxford English Dictionaryより、recordの語源(心の中にあるものに戻る/繰り返すようなイメージでしょうか)

 

■語る声/物語からの "e:lude"

 

youtu.be

 

ところで、『レインコートと首の無い鳥』を聞いて強く思うことがもう一つある。それは「語る声」の不在である。
この曲のMVを見てみると、Maison book girl=ブクガさんのメンバー四人には、何らかの事件をめぐる、それぞれの役割があるように見える。

ただし、再生されるたびに解釈は異なると思うのだが、例えば、こんな感じ。

 

  • 被害者?:矢川葵さん
  • 加害者?:コショージメグミさん
  • 目撃者?記者?:井上唯さん
  • 目撃者?探偵?:和田輪さん

 

しかし、「実際のところ」、その事件はどのような事件で、いつ、誰に、何が起きたのだろうか?
歌詞同様に、このMVでは様々な光景が浮かび上がっては錯綜して行く。

 

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このMVに不在なのは事件の「語り手」ではないかと思うのだ。
誰が、誰に、何をされたのか? それはどのように隠され、どのように暴かれたのか? 
このMVには、それぞれの人物が遭遇した一つひとつの出来事を、時系列とプロットとともに、一つの物語としてまとめ上げる語り手がいない。

 

これが推理小説であれば、ワトソンが「すべて」の情報を結び付けて物語ってくれる。「被害者は誰に、いつ、どこで、何で、なぜ、どのように、殺されたのか?」
物語の語り手は、物語の冒頭に謎を提示し、途中で手がかりを示す。目撃者に会い、証拠を探し。探偵は推理を積み立て、真実を暴き、その過程をワトソンに話し、物語は終焉を迎える。


しかし、このMVには、そうした物語を見せてくれる語り手がいない。挿入されるイメージは断片的で、全てを統一する語り手は不在だ。
そして、この語る声の不在こそが『レインコートと首の無い鳥』が私たちに「見せ」ようとしているものではないか。
何かが「起きた」らしいことはわかる。けれど、その「何か」の "全体像"なるものは見えてこない。そうした宙ぶらりんの世界。
しかし、「事実」とは元々、そのようなものなのではないか。誰かが一つの物語を語れば、必ず、そこから漏れ出すものがある。「犯人」が見た光景と、「探偵」が見た光景、「目撃者」「被害者」が見た光景、それが全て同じであるはずがない。

 


この曲が「忘れたことを覚えたAI」を描いたものであるのなら、被害者、加害者、目撃者、探偵。四人の記憶をインプットされたAIが、それぞれの記憶の断片を吐き出し続けている。そんなMVであるように「私には」見える。
それぞれが見た光景、聞いた言葉。それぞれの脳の中に鮮烈に残ったシーンが、浮かび上がっては混ぜ合わされて行く。

 

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きっと、このAIが忘れたのは、何が起きたのか、という「真実」だ。
それぞれの脳に強く焼き付いたイメージだけだけが再生されて、それらの断片を組み合わせれば見えてくるかもしれない一つの「真実」は抜け落ちている。
「そのシーンは、誰が、いつ、どこで、見たもので、何を意味するのか?」
この曲には、そうした時系列や文脈、意味から切り離された、記憶の断片がある。

 

街の音を聞いたのは誰?
レインコートが揺れたのはなぜ?
公園で、ホテルで、屋上の上で起きたのは何?

 

それぞれのシーンが、その事件の「何」を意味するのか。それは誰にもわからない。それらを結びつける「真実」だけが抜け落ち、ぽっかりと穴をあけている。


だから、それらのイメージはまるでメタファーのようだ。
それらは私たちの頭の中に棲み付き、様々な意味に結びついては、私たちの中に異なる「何か」を暗示する。
「ホテルの秘密」のような何か。「屋上の上」にあるような最後。「レインコート」が揺れるような罪。など。
具体的な出来事を指し示していたかもしれないそれらのイメージは、メタファーとなって聞き手の中に、何らかのイメージを描く。
『レインコートと首の無い鳥』を聞く度に思い浮かぶこうした「何か」は、同じ曲を何度リピートしても、リピートするたびに異なる像を結ぶだろう。それらが示す、「真実」なるものが抜け落ちているのだから。

 


首の無い鳥の声を聞くことはできない。『レインコートと首の無い鳥』にあるのは、「唯一の真実」。それを辿る「物語」。そうしたものを「語る声」。それらの不可能性なのだと思う。そこには、ただ、かつてあったはずの「事実」の気配だけがあり、それが本当にかつてあったのかどうかすら分からない。だが、そこに記憶の空洞があることだけが分かり、その空洞はメタファーを呼び込んでは、なぜ忘れなければならなかったのか?という始まりの問いを覆い隠す。

 

elude
 e: out
 lude: to play

※Oxford English Dictionaryより、eludeの語源(playの外に出る)  


『レインコートと首の無い鳥』のMVと音楽を「再生」するたびに、私たちは異なる像を生産する。「レインコートと首の無い鳥」には、「再生」という繰り返しが、同じものの繰り返しを可能にしない。そうした捻じれがあるように思う。

 

■以上です。

ブクガさんは、大森靖子さん目当てで見に行った2017-8年のカウントダウンと、ビバラポップ!で見てから、少しずつ曲を聞くようになりました。
『レインコートと首の無い鳥』のMVのあまりにも完成度が高く、これは購入せねばと思い、Amazonで購入してみたところ、「Maison book girl「elude」発売記念スペシャルLIVE映像上映イベント」当選のお知らせが来まして。
これは、この聞く度に捻じ切れそうなこのシングルCDをそれでもちゃんと聞け。という暗示か。と思い、ブログを書いてみました。


この曲やMVが暗示する「事件」的なものについて想像をしてみたりもしたし、特にMVは何が起きたの?ということを聞き手に委ねるような作りにもなっていると思うのですが、この曲には、そうした具体的な「事件」や「真実」を語ることの不可能さと、この不可能性の息苦しさ。があるのだと思いました。「首の無い」鳥は、語り始めることすら不可能。
ということで、「事件」的なものが何だったのかという謎解き的なことは書かなかったのですが、とはいえ、そういう、具体的な解釈が読みたくてこの記事にアクセスしたんだよという方もいらっしゃると思うので、そういう方は、ここまで読んで頂いたのにご期待に沿えず申し訳ありません。

 

************

 

ブクガさんの曲は聞けば聞くほど辛いなあ、しんどいなあって思う部分もあるのですが、このような曲があるから私の日常は何とかやっていけるのだろうとも思います。

 

 

長くなるので書かなかったですが、このシングルに収録されている他の二曲、「おかえりさよなら」「教室」も、とても好きでした。

「レインコートと首の無い鳥」は、AIの中で複数の記憶が交錯するイメージ(で聞いてる)のですが、「おかえりさよなら」は具体的な人称を持つAIのように聞こえました。
対して、「教室」は、最初から最後まで語り手の人称が不明の物語で、「首の無い」鳥の鳴き声で始まるこのシングルCDの三曲目としては相応しいポエトリーリーディングだなと思いました。コショージさんはいつも、美しい余韻の残る物語を書かれる方だなと思います。

 

あと、このブログ、時々、ブクガのMVで監督もされている、縷縷夢兎デザイナー:東佳苗さんについて書くことがあるのですが、 Maison book girlの曲にあるような「罪」や「取り返しのつかなさ」のイメージは非常に東さんの作品のイメージを彷彿とさせられるところもあり、東さんがブクガさんの曲の相性の良さに納得する部分がありました。 『Expiation in a dream』などは、『レインコートと首の無い鳥』に通じる部分があるのではないでしょうか。

 

youtu.be

 

ブクガさんのプロデューサーのサクライケンタさんは、私の好きな大森靖子さんとも関係が深い方ですし、これからブクガの曲、聞き込んでみようと思います。

まずは、Amazonのイベントが楽しみです。