ニワノトリ

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大森靖子『君に届くな』を「私に届くな」と聞いてみる。

「そこは君自身の家で、君は逃げ出した自分自身を待っているのかもしれない」*1

 

大森靖子『君に届くな』@『キチガイア』について

 

私が笑ったり 私が泣くのが
私のことだなんて許せない

 

何度も何度もリピート再生してきた曲が、その曲を気に入っている自分を置き去りにするかのようなスピードで、イメージをくるりと変えてしまう瞬間がある。
上の引用は大森靖子さんの『君に届くな kitixxxxgaia ver.』の歌詞だけれど、これは正確な引用ではない。正しくは、「君が笑ったり 君が泣くのが 私のことだなんて許せない」だし、大森靖子さんも確かに「君(きみ)が笑ったり 君(きみ)が泣くのが」と歌っている。歌詞カードを見ても「君」に「わたし」などというルビは振られていない。

しかし、何を思ったのか、『君に届くな』という曲は、ある時、突然、僕のイメージの中で、「君」に「わたし」とルビを振ってきたのだった。

 

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君(わたし)が笑ったり 君(わたし)が泣くのが
私のことだなんて許せない

 

というようなルビが振られるのなら、同じ曲のこの歌詞にはきっとこのようなルビが振られる。

 

その全てを全世界にぶち撒けたい私の全てを
君(わたし)にだけは届けたくないほど
君(わたし)が好き

 

こうした強引なルビが許されるなら、『君に届くな』とは、「私」の、「私」に対するラブレターなのだと思う。そこにあるのは、「私のことで私が泣いたり笑ったりするのが許せない」と、「私」が「私」に届くことを禁止したラブレターで、「私にだけは届けたくない」そのラブレターの宛先はいつも白紙だ。だから、出しても出しても宛先不明で手元に舞い戻ってくる。しかし、手元に返ってきたそのラブレターは、実はとても正しく配達されているのだ。なのに、「私」はいつまでもその宛先の「ただしさ」に気が付くことができない。

「私」に届かない「私」の思いが歌われているのだとしたら、『君に届くな』にあるのは、この世で最も叶わない片思いなのかもしれない。
それまで、「君」を「私」として聞いたことなんてなかったのに、一度そのように聞いてしまうと、もうそうとしか聞こえなってしまった。それ以来、Walkmanで『君に届くな』を聞くたびに、空を切るように虚しく往来する片思いがくっきりと姿を現して、その切なさがやりきれない。

 

 

しかし、思えば、「君」が「わたし」に聞こえなかった頃から、『君に届くな』は切ない片思いの曲だった。

 

君が笑ったり 君が泣くのが
私のことだなんて許せない

 

このように歌う「私」は、君のもとに「私」が届き、「君」の世界に「私」が影響を及ぼすことを恐怖している。「君」と「私」の間に何らかの関係性が構築されることすら恐れる、関係性抜きの感情。こっちを見ないで、気が付かないで。と、自らの存在を「君」の世界から消し去ろうとする「私」は、「好きだけど届くな それが幸せ」なのだという。
一方通行の思いに焦がれる「私」には、「私」を罰しようとする自罰感情の気配がする。「私」は、「私」が「君」に届くことを許すことができない。「私」が「君」の世界にあることを許せない。「私」にとって「私」とは、「君」の世界を損なう存在だ。「君に届くな」という禁止において、「私」は、誰よりも「私」を忌み嫌い、「私」の価値を踏みつけている。

 

そうした『君に届くな』という曲において、「君」に「わたし」とルビを振るとき、この曲の中の「私」は、「私」が忌み嫌う「私」を愛することをこそ渇望している。『君に届くな kitixxxxgaia ver.』で差し挟まれる芝居調のセリフは、「私」の中から抜け出した「私」が、「私」に充てるト書きのようなものだ。「私」は矢継ぎ早にセリフを重ねることで、「私」を罰する歌のリズムから抜け出し、「私」が「私」を語る場所をこじ開けようとしている。
そう聞いていると、『君に届くな』という世界の中で、今にもつぶれそうなほどの「私」が必死に息をする場所を探しているのを感じて、聞いている僕まで息苦しくなってくる。陣痛剤を打って生まれた黒い翼とは、「私」に耐えきれない「私」自身のことではないのか。
『君に届くな』を聞く僕の頭の中で、「私」は鏡の前で「君に届くな」を歌っている。「私」は『君に届くな』を歌いながら、「私」が「私」を愛することを「私」に赦そうとしており、しかし、それができずにもがいている。僕は、僕がそんな「私」の歌を聞くばかりであること、「私」に対して僕が何もできない、何も声を届けられないことについても息苦しさを感じる。「私」が求めているのはほかでもない「私」が「私」に語りかける言葉なのだから、無関係の僕は、外側にから「私」の様子を眺め、ただ立ちすくむしかない。

『君に届くな』には、どうしたって僕には届かない「私」だけの世界がある。このとてつもなく遠い距離に、僕はいつも、『イミテーションガール』で「抱きしめられなかったあの子の声」を聞いたときのように、僕こそが届かないラブレターを出しているのではないかという錯覚を覚えている。

 

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*1:村上春樹1Q84』BOOK1, p.548(2009,新潮社)