ニワノトリ

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解釈する限り追いつけない/大森靖子「剃刀ガール」@『大森靖子黒歴史 EP』の感想文です

先日、このブログのコメント欄で、大森靖子さんの『大森靖子黒歴史 EP』がダウンロード販売しているということを教えて頂きました。
なんと、11曲で500円。驚きの安さ! 金欠にもやさしい!
さっそくDLしてきました。

 

DLはこちらからできます。↓

 

ototoy.jp


「剃刀ガール」「眼球」「京都旅行」「赤い部屋」「東京地下一階」など、大森さんファンの間でも評判の名曲揃いです。

 

ということで、今回は『大森靖子黒歴史 EP』から「剃刀ガール」の感想文を書いてみようと思います!!!

 

※「剃刀ガール」といえば、大森さんが出演することで話題になった、お芝居、ねもしゅーせいこ『夏果て幸せの果て』の劇中歌唱曲です。『夏果て幸せの果て』の会場で、劇中歌唱曲の歌詞を印刷したものが配られていたので、以下の歌詞の引用は、それを参考にしています。

 

**

 

少し遅かった 全部
少し遅かった
早く電話をくれないから
彼女は泣いた

少し下手なんだ 全部
少し下手なんだ
上手く電話も切れないから
彼を困らせる

 

これは、「剃刀ガール」の一節です。「電話」が二回出てきています。
「剃刀ガール」の話をするにあたって、まず、「電話」の話から始めようと思います。


推理小説を読んだり、二時間ドラマを見たりしていると、よく、序盤で「電話が鳴る」シーンに出くわします。依頼人からの電話であったり、警察からの電話であったり。電話のベルの音は、他愛もない日常会話を切り裂いて、トラブルや事件の到来を告げます。

新しい物語を始めるには、とにかく、どこかに「始まり」がなければなりません。同様に「終わり」も必要です。加害者が生まれた場面を始まりにするのか、探偵が事件を知った場面を始まりにするのか……加害者が捕まったら終わりなのか、探偵が死んだら終わりなのか……。同じ事件を題材にした物語を描くとしても、どこに「始まり」と「終わり」を置くのかで大分内容が変わります。事件の前にも関係者の生活は存在していて、事件の後にも関係者の生活は続いて行くわけですから、「語り手」は連綿と続く登場人物たちの営みの中に、どこかに区切りを作らなければ、物語を語り始めることも、語り終わることもできない。


「電話」というのは、一つの部屋という狭い空間の中に、外部の声を招き入れる窓口です。いつも通りの日常生活の中に事件の知らせを持ち込む電話は、物語を語り始める一つのきっかけとしてとても便利なのです。

 

(突然電話がかかってくる話といえばコレ)

 

 

前置きが長くなりました……。
「剃刀ガール」の話をします。

 

「剃刀ガール」には、「早く電話をくれないから」「上手く電話も切れないから」という歌詞があります。
「剃刀ガール」では電話は鳴りません。そして、電話が切れることもありません。
こうした歌詞を聞いていると、私には、「剃刀ガール」という歌が、「電話」が鳴らない歌。すなわち、「物語を始め損ねる」歌であり、同時に、「終わり損ねる」歌なのではないかというように感じられます。

 

「剃刀ガール」という歌は、次のように始まります。

 

私のこの声がもっとか細いなら
あなたはそれを守るため
たくさんの飴をくれたでしょ
たくさんの愛をくれたでしょ

好みのタイプがあるのなら
生まれたときにそっと教えてくれれば
その通り育っておいたのに

 

"もっとか細い声だったら。"
"あなたの好みの通りに育っていたら。"

 

「剃刀ガール」は、「あなたはもっとか細い声の子が好きなのだろう」と「あなた」の視点から「私」を覗き見て、「私」の積み重ねて来た月日や、私のか細くない声を身体を嘆くことから始まります。
「剃刀ガール」で「私」と「あなた」は別れを迎えているのかどうか……それは、聞く人によって解釈が異なると思いますが、少なくとも、別れるまでは行かずとも、「私」と「あなた」の間に、回復しようもないような気持ちのすれ違いやズレが発生していることは、確かなように聞こえます。

 

例えば、大森さんも出演されたお芝居、『夏果て幸せの果て』で、「剃刀ガール」は、ねもしゅーさん演じる女の子=「大森さん」が、鳥肌実演じる恋人?に
「大森さんは強い人だから(僕の気持ちが)分からないんだよ」的なことを言われるシーンで使われています(台詞は正確ではないですすみません)。
その台詞を言われて落ち込んでいる「大森さん」に、大森靖子演じる「大森さん」(ねもしゅーせいこには大森さんが二人出て来るのです)が、 「あなたは強いから分からないんだって言われるの一番辛いよね」(このセリフも正確ではないと思います)と語り掛け、「剃刀ガール」を歌い始めるんです。

 

f:id:n1wator1:20150606205519p:plain2015-6-3〜6-9 東京芸術劇場で上演されました。

 

鳥肌実さん演じる恋人は、ねもしゅーさんを「強い女の子」だと語ります。
そして、「その強い女の子」は鳥肌さんを「理解する」ことはできない(と鳥肌さんは思っている)とも語る。
鳥肌さんがそう思っている限り、「強い女の子」であるねもしゅーさんは一生、鳥肌さんを理解などできないし、少なくとも、鳥肌さんが「分かってくれた!」と思ってくれる瞬間など訪れようがない。

 

「私」と「あなた」は付き合って、同じ時間を共有して、同じものを見てきたはずなのに、どうしても共有できないものがある。
あるいは、共有させてもらえないものがある。
「大森さんは強い人だから(僕の気持ちが)分からないんだよ」
という台詞は、「私」の世界と「あなた」の世界の間に走る亀裂を示すものなのであり、そんな台詞の後に流れる「剃刀ガール」が歌うのは、「私」の世界と「あなた」の世界の間にある、どうしても埋めきれない亀裂であるのだと思います。

 

 

 


その亀裂を生みださないためには、私はもっとか弱い声で育つしかなかった。
「あなたと私」が出会う前から、すでに「あなたと私」の物語は始まっていたのです。

 

なのに、「私」は「あなた」に会うまでそのことに気付かずに、「あなたの好みのタイプ」に育つことができなかった。

 

好みのタイプがあるのなら
生まれたときにそっと教えてくれれば
そのとおり育っておいたのに


ここで、私が重要だと思うのは、「あなたと私」の物語が、「あなたと私」が出会う前にすでに始まっていた……ということよりも、むしろ、「私」が「あなたと私」の物語の「始まり」を探しているように見えること、そして、それを探すことそれ自体が「剃刀ガール」という歌を創り出しているのではないかということです。

 

「私のこの声がもっとか細いなら」「その通り育っておいたのに」。
これは全て「仮定」の話です。ここで「私」が歌っているのは、実際には「始まらなかった」、あるいは「始められなかった」物語です。
「私」は今さら始まりようのない物語を歌っては、その「始まり用のない物語」の登場人物になれなかったことを悔い、嘆いている。

 

「剃刀ガール」では、「あなた」と「私」の間にある亀裂を目の前にして、今の「私」の物語は、「始まり」すら見つけることができることができていない。

 

思い出返し
裏返して
今までのことを

 

忘れた
忘れた
忘れた

 

物語を語るとは、「始まり」と「終わり」を作ることだというようなことを最初に書きました。
それは言い換えれば、「始まり」から「終わり」に向けて、過去や現在を構成し直すこと、「Aが起きたから⇒Bが起きて⇒それによってCが起きた」というプロットを与えるということです。A、B、Cという出来事は、因果関係によって、結び付けられ、整理されます。

 

……というようなことを考えると、物語の始まらない「剃刀ガール」という曲は、「私」と「あなた」の間に発生した亀裂を目の前に、今、自分に起きている出来事を整理できず、物語を語り始める声すら持つことのできない、混沌の最中にいるのではないかと思います。
「私」と「あなた」の物語は確かにあるはずなのに、その始まりを見つけられない苦しさ。
「剃刀ガール」はずっと、「私」と「あなた」の間にある亀裂の中にいて、その亀裂そのものを歌声にして響かせています。

 

私は大丈夫かしらって
そんなこと私知らない
あなたは元気ですか
そんなことすら私知らない

 

「剃刀ガール」には、「私」や「あなた」を語る言葉が生まれる前。「私」の傷や感情、「私」と「あなた」をとりまく現在に、物語が授けられ、すっきりとした因果関係を持った「物語」になる前の混沌とした感情が、むき出しのまま、歌われているのではないでしょうか。

 

 

 


……だから、(このブログの記事みたいに)「剃刀ガール」を、一貫した論理とかテーマみたいなものを当てはめようとしたって無理だと思うんですよね。
筋道みたいなものを立てようとした先から、「いや、そういうんじゃないから」っていって、歌そのものに拒否されてしまう感じがします。


大森靖子黒歴史 EP』には、そういう曲が多いと思います。
私は、ブログでチマチマ大森さんの曲の解釈とか感想文とかを書いているのですが、大森さんの曲の感想文は、最近の曲の方が圧倒的に書きやすいです。メジャーデビューを果たして、ポップになったというのがとても大きいと思うのですが、最近の曲になればなるほど、聞き手が「こういうことでしょ!」「分かる分かる!」みたいなことを言いやすくなっていると思います。

逆に、『大森靖子黒歴史 EP』や『魔法が使えないなら』『PINK』に入っているような曲は、「私の言葉」を滑り込ませる余地がないように感じます。それぞれの曲の「一瞬」を見せる力と言うか。瞬発力がすごくて、それを言葉にして捉えようとすると、その瞬間に逃げて行ってしまいます。というか、一つひとつの音、言葉が、解釈する暇も与えずに、聞き手の心に焼き付いてくる。一音もらさず込められた執念がすごい。

 

 

 

大森靖子黒歴史 EP』は、小説を読んでいる感じと言うよりは、小説が立ち上がるその瞬間のエネルギーそのものを次から次へと見せつけられているようなアルバムです。一曲一曲を聞くのがとても辛い。でも、だからこそ、一音一音をちゃんと聞きたい、一言ひとことを聞き逃したくない、とも思わされます。
ぜひ、DLしてみてください。

 

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