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ニワノトリ

ハロプロ、大森靖子さん、宇多田ヒカルさん、amazarashiなどのJ-popの楽曲レビュー・考察、ライブレポなどを書いているブログです。カテゴリ「このブログについて」に記事のまとめと更新情報があります。ご連絡はTwitter:@ok_take5、メール:tori.niwa.noあっとgmail.comまで(http://n1watooor1.exblog.jp/は愚痴用になりました)。

「地獄の犯科帳〜し天王の罪と罰〜」を観に行った~「サブカル低所得」という言葉の話

その他

■「地獄の犯科帳」というお芝居と「サブカル低所得」

2016年1月10日に 新宿眼科画廊で行われた「地獄の犯科帳~し天王の罪と罰~」というお芝居を観に行ってきました。

 

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天皇の一人であるゴブリン増田こと増田ぴろよさんによれば、「美術とサブカルの闇」を描いた演劇とのこと。

 

 

正直、新宿眼科画廊に行くのも初めてだし、これまで、現代アートとか美術にあまり触れて来なかったし、こんな私が見に行っていいのだろうか……
という不安を抱えつつ見に行って来たんですが、実際に見てみると、そんな私でも笑える内容でした(見ながらほっとしました)。

 

で。

 

この演劇、現代アート界の“格差”に焦点を当てたもの(だったと思う)のですが、この演劇の台詞の中に、たびたび、「サブカル低所得」っていう言葉が出て来たんです。
主に、ゴブリン増田こと増田ぴろよさんが連発してたので、恐らく、増田ぴろよさんの造語なのではないかと思うのですが……。

私、演劇を観ながら、この「サブカル低所得」っていう言葉がすごく面白い。
と思ったんです。

この言葉は、

の二つを組み合わせた言葉だと思うんですけど、 "この二つの格差が一つの言葉になるうる"。ということが、日本の現代アート界における「格差」の何たるかを私に教えてくれたような気がして、勝手に「おお」と感動してしまいました。

 

……という話をしたくて、このブログ記事を書くことにしました。

 

以下、「サブカル低所得」について考えたことを延々と書いています。

 

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増田ぴろよさんは、ペニスをモチーフにしたペニスアートを制作されている方で、私個人的には、大森靖子さんのライブの度に着る、「さよなら、男ども。」Tシャツでよくお世話になっております。

 

 

■今やサブカルチャー=低所得……の時代じゃない!(再認識)という話

「サブカル低所得」という言葉について、私が「面白い!」と思った理由の一つが、「サブカルチャー」に「低所得」という言葉がくっついていることでした。

というのも、そもそも、サブカルチャーというのは、その歴史を遡ると、いわゆる高所得の知識層が持っているハイソサイエティーなカルチャーに対抗するものとして誕生しています(……という文脈で語られることもあります)。例えば、ヒップホップは白人中心主義に対する黒人の怒りを表明するような形で誕生してきた、というように。

日本に文脈を映すと そうした“対抗”色が薄くなるという話もあるのですが、それは一旦、脇に置かせて頂きまして……。

そういう文脈を考えると、サブカルチャー=低所得であるというのは、ある意味、自明であるというか、敢えて言うまでもないというか……。
少なくとも、50年くらい前までは、マジョリティに受け入れられ、彼らに消費されることで高い収入を得られる……ようなバックグラウンドを持ちえないような人たちが生み出すものこそが “サブ”カルチャーだったのだと思います。

 

翻りまして。「サブカル低所得」という言葉が意味しているのは、敢えてサブカルに「低所得」という言葉がつけられるような時代が到来してるんだということ。すなわち、現代日本には「サブカル高所得」がいるんだということです。
なので、まず、「サブカル低所得」って、一言で、何かサブカルを巡る時代背景の変化みたいなものを差してる気がして、面白いなと思いました。

 

 

■サブカルが金を生み出す時代

「面白いなと思いました」とか言いつつ、もちろん私も、2010年代も後半に入った今、紅白の視聴率も落ち、(特典が付かない)ミリオンヒットもなかなか出なくなって久しい今、もはや、「メインカルチャー」といえるものなど失われつつあることは知っています。

紅白歌合戦で(サブカルチャーの一つであるはずの)アニソンが堂々と歌われたりするし……現代ではもはやサブカルチャーメインカルチャーの境目が見えなくなって来ている。
っていうか、境目が見えなくなってきているどころか、かの「クール・ジャパン」戦略に代表されるように、むしろ、現代では、サブカルチャー”こそが大きな金を生み出す文化資源と見なされつつあります。

だから、今の世の中「サブカル高所得」がいても全然不思議じゃないし、サブカルだから主流になれないなんてことも全然ないんですよね。

 

ここで。

 

唐突ですが、リチャード・フロリダっていう人がいまして。
この人が “クリエイティヴ階級”っていうことを言ってます。

 

 


フロリダさんが言っているのは、本当にざっくり言うと、

昔は、クリエイティヴであることが求められる産業は一部に限られていたけど(例えば広告とか、デザインとか、建築とか、それこそ “アート”とか)、今は、どの産業でもクリエイティヴであることが求められる(なぜなら、誰にでもできることはぜんぶ機械がやってくれるからね!) 

 

ということで(正しくは上記の本をお読みください……)要は、現代社会の産業において、中心にあるのは、非物質的なもの。例えば、誰にもないようなアイディアとかそういうものになっていると。
……そうです、彼です、典型例はスティーブ・ジョブス氏です。彼みたいな超絶アイディアマン、お前どっちかっていうと芸術家じゃねーのみたいな人こそが、今では大きなお金を生み出し、資本を動かしています。
現代社会とは“クリエイティヴであること(何か新しいものを生み出せること)”が 金を生み出すものとして評価される時代なのです。

 

……いきなり何でこんなことを言い出したのかというと、要は、現代社会とは、新しい価値を創り出すようなクリエイティヴィティそのものが資本の中心になりつつあるんだということが言いたかった……。
極端に言い換えますと、現代社会とは、サブカルだろうがハイカルチャーだろうが変わり者だろうがアーティストだろうがマイノリティだろうが、とにかく、あなたが生み出す価値、あなたのクリエイティヴィティが、金を生み、産業になるかどうかが、勝ち組/負け組をわけ隔てるような世の中になりつつある(らしい)のです。

 

■金がない=サブカルチャー

 ここで、サブカル低所得の話に戻ります(長かった)。

上記のようなことを踏まえて、「サブカル低所得」という言葉を聞きますと。

「サブカル低所得」という言葉は、もはや、サブ(カルチャー)とメイン(カルチャー)をわけ隔てるのが、その人の背負う文化的背景とかそんなんじゃなくて「それが金になるかどうか」ということだけになりつつある。みたいなことを示唆しているんじゃないでしょうか。

例えば、「地獄の犯科帳 〜し天王の罪と罰〜」では、シブカル祭と美術手帖(=美術手帖 presents シブカル杯。)に選ばれるかどうかが「サブカルの勝ち組/負け組」をわけ隔てる指標?みたいな感じで出て来ていて、(美術手帖に載れず、シブカル祭にも出られなかった)私たちは負け組だ!」みたいな台詞がありました。

よく考えたら、「消費社会」の象徴みたいなパルコと、美術手帖というアート界の権威が手を組むというのも示唆的な話で。あのセリフは、美術手帖に載らなかった私たちは、アート界にも資本主義にも同時にそっぽ向かれてしもうたんや!というようなことを言っていたのかもしれません。
一昔前であれば、資本主義的な評価と、アート的な評価の間にはかなりの隔たりがあったはずだし、アート的な評価とサブカルチャーとしての評価の間にも隔たりがあったはずなのですが、現代社会ではそのすべてが急接近しつつあって、その中で生まれた新しい?「負け組」が「サブカル低所得」なのかもしれない。


■サブカル低所得と女の子の葛藤について

そして、もう一つ……というか、「地獄の犯科帳」で私が一番印象的だったのは、やっぱり、「サブカル低所得」を自認するし天皇たちが「女としての私の価値」と「アーティストとしての価値」の狭間の葛藤を前面に押し出していたところです。

低所得になった女性が直面せざるを得ない生きる手段に「身体を売る」という選択肢がありますが、それはサブカル低所得の女の子にとっても同じです。
サブカルで金を稼げない ⇒ 他の手段で金を稼げないと生きて行けないとなった時、アートで生きて行こうとしている女の子たちは、一度、どこかで、「自分の生み出すアートより、自分の若さ(身体)の方が高くつく」というような現実に直面せざるを得ないのではないでしょうか。

 

自分が描いてる絵より、自分の外見に注目が集まる。とか。
一生懸命絵を描いたのに、結局ノーギャラだった。こんなんだったら、お金持ってる男の人と遊んだ方が確実にお金くれる。とか。


現代アート界のトップでは、クールジャパンとか言って莫大なお金がほいほい動いているのに、現代アート界の末端ではアートを評価するシステムが全然確立されてなくて、めっちゃただ働きさせられて、その一方で、女の子と写真撮ったり、遊んだり、寝たりすることは、すごく容易くお金で評価される。

その理不尽さ。

私が「地獄の犯科帳」を見て、一番感じたのは、そういう理不尽さに対する怒りみたいなものでした。


なので、私は、「地獄の犯科帳」という演劇は、"アート"が資本主義と手を結びつつある社会で必然的に生まれる格差と、それに対する怒りから生まれたもので、それこそ、まさしく “サブカルチャー”な演劇だな、と感じました。

 

■おわりに


……というようなことを、結構、真面目に考えてしまいました。
というお話でした。
たぶん、この演劇を見に来ないとこんなこと考えなかったと思うので、良い体験をさせて頂けたと思っております。ありがとうございました。

 

何か、他にも……書きたいことがあったんですが……“飛べ!イサミ”のこととか……
長くなってしまったので一旦ここで……。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 


■……最後に① ホワイトボードがすごかった

このホワイトボードアートが即興で描かれたのですが。

 

 

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(写真の腕が悪すぎてすみませんorz)

 

これを見れただけで2500円払った価値があったなと思えました。

 

■……最後に② 地獄のバスツアー

地獄のバスツアー参加者募集中だそうです。

 

410no.theshop.jp

 

 

■……最後に③ アスモデウス行好(ゆっきゅん)の『夢じゃない』

temee.hatenablog.com

 


とても良い写真集でした(すぐに言葉にできないくらい)。

 

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以上です……。

 

 

 

 

niwanotori.hatenablog.com

 

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