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ニワノトリ

ハロプロ、大森靖子さん、宇多田ヒカルさん、amazarashiなどのJ-popの楽曲レビュー・考察、ライブレポなどを書いているブログです。カテゴリ「このブログについて」に記事のまとめと更新情報があります。ご連絡はTwitter:@ok_take5、メール:tori.niwa.noあっとgmail.comまで(http://n1watooor1.exblog.jp/は愚痴用になりました)。

普通じゃなくなっちまったアイドル、Berryz工房の10年目に括目せよ!/Berryz工房『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』の感想 2/3

※この記事は、http://n1watooor1.exblog.jp/にて、2014/5/31に公開したものです。

Berryz工房『普通、アイドル10年やってらんないしょ!?』の感想文その2です。全部で3ページあります。

 

■「アイドルとしての私」と「私」

この曲において、Berryz工房Berryz工房という物語の主役であると同時に、語り手でもある。
だから、この曲では、「猫だって杓子だって 名刺を作れば即アイドル」というような、アイドルを客体化する、語り手としての眼差しと、「体力も必要」「誘惑だって半端ない」というアイドルという「私」の実体験が常に交差する。

それがもっとも顕著なのは本曲のサビだろう。

 

 アイドル10年やってらんないでしょ!?
 石の上でさえ3年だよ
 青春全部ささげたことは 誇りに思って生きて行くわ
 アイドル10年やっちまったんだよ
 バイト感覚じゃ続かないから
 土日も全部ささげてきたよ
 好きなことだって仕事となりゃ 別腹だよ
 それでもアイドル I love it!

 


「アイドル10年やってらんないでしょ!?」
この部分において、Berryz工房の10年は、他の本来あるべきアイドルの姿に相対化され、Berryz工房は我に返ったかのように客観的に、それは「(普通は)やってらんないものなんだ」という診断を下している。
「アイドル10年やっちまったんだよ」も同様で、そこには「(本来10年やるべきでない)アイドルを10年やってしまった」自分たちに向かって、「やっちまったな、お前ら」と言い放つような、客観的な判断が含まれている。
し かし、同時に、このサビでは、「青春全部ささげたことは 誇りに思って生きて行くわ」「それでもアイドル I love it!」というように、「普通じゃない」ことを抱え、誇りに思って生きて行くのだという、Berryz工房という物語の主役としての、「私」の決意が語ら れる。

アイドルとはまさしく、このような「自分を客体化する眼差し」と、「アイドルという人生を歩む「私」としての眼差し」との交差地点に生きている存在だ。

『普通、アイドル10年アイドルやってらんないでしょ!?』の二番には以下のような歌詞がある。

 

  モデルしたい 女優したい あれこれしたくもなるけれど
  雑念は禁物よ 勘違いしたらそこまでよ
  〔…〕
  ママになった友達だっているのが現実
  ママのダメだしはきついけど 言ってる意味は確かにわかるよ

 


「モデルしたい」「女優したい」という「私」の欲求と、それを「勘違い」と見なさざるを得ない「アイドル」というイメージの狭間で、アイドルは生きている。
アイドルは、「アイドル」という枠組みの中で、「私」と「アイドルとしての私」の間に境界線を引き、折り合いをつけながら、「アイドル」というイメージを体現し続ける。
そうした「アイドル」という枠組みから抜け出すまで、アイドルは、友達はママになったのに自分は未だ「ママにダメ出しされ」ているという、現実とのギャップに晒され続ける。
アイドルは、「アイドルという私」の現実と、同世代の女の子たちは恋愛し、ママになっているという「私」の現実のギャップの中で生きて行かなければならないのだ。
これまでのモーニング娘。を卒業したメンバーたちがそうであったように、アイドルではない「私」としての人生は、アイドルから卒業して初めて始まるのである。


しかし、本曲が面白いのは、1でも書いたように、「私」が「アイドルとしての私」を「語る」(歌う)という視点を取っているところだ。
「アイドルとしての私」は常に「私」によって客体化され、語られ、歌われる。
歌やアイドルが好きな「私」と、それを生業とする「アイドルとしての私」は重なり合いながらも、決して完全に重なり合うことはないのだ。「私」はアイドルを客体化することで、「私」と「アイドルとしての私」の間に境界線を引いて行く。

おそらく、自分で「私」と「アイドルという私」の間に「境界線」を引き、その「境界線」を保つ、というのは、アイドルにとってとても重要なことだ。
アイドルは「私」と「アイドルとしての私」の狭間で生きているからこそ、時に「アイドルとしての私」に「私」が巻き込まれ、食い潰されることがある。
だが、Berryz工房は、この曲のように、「好きな事だって別腹である」ことを認め、「アイドルとしての私」を客観的にみる視点を「私」の中に保った上で、「それでも私はアイドルなんだ」と言うことができる。
だからこそ、Berryz工房は「アイドルという私」に潰されることなく、10年ものアイドル人生を送って来られたのだ。

「アイドル」はみんなのものだ。
男のスキャンダルなんてとんでもない。「アイドル」は応援してくれるみなさんのものだ。
しかし、「アイドルとしての私」がみんなのものだとしても、「アイドル」は「私」の全てではないし、「私」はみんなのものではない。
Berryz工房は、『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』という歌を通して、彼女たちが歩んできたアイドルとしての10年を、もう一度自分たちの手元に手繰り寄せ、「私」の物語として紡ぎ直しているのである。

この曲でなされているのは、「アイドルという私」を「私」の人生の中に位置づけ直す、そんな試みであり、それは同時に、その試みを「アイドルという私」を見つめ続けて来た、ベリオタや世間の前に開示する、そんな企てでもあるだろう。

 

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