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紙コップでも、あるものでも、下手くそでもいい / 大森靖子『ハンドメイドホーム』@『魔法が使えないなら死にたい』の感想

※『魔法が使えないなら死にたい』の感想を一曲ずつ書いていっています。→ 魔法が使えないなら死にたい - ニワノトリ
※『絶対少女』の感想企画もやりました。→ 絶対少女 - ニワノトリ

 

 

今回は、大森靖子さんのアルバム『魔法が使えないなら死にたい』の四曲目、『ハンドメイドホーム』の感想を書きたいと思います。

 

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大森靖子 - 「 ハンドメイドホーム 」 2012年9月16日 @ぐるぐる回る2012 - YouTube

 

■夜のうたとしての『ハンドメイドホーム』

「明けない夜はない」、あるいは、「止まない雨はない」問題というものがある。
これらは、J-popに散見される、聞いている人や自分を励ますための歌詞だ。
こうした歌詞は、夜のような真っ暗な現状を、雨に降られたように最悪な今を、太陽の動きや天候に例えて、最悪な状況はいつまでも続かないものだと、励まそうとする。

こうした歌詞には、白昼夜の国だってあるじゃないか、そもそも、人生と天気では本質がまったく異なる、などの反論異論がある。

しかし、それに異論を唱えるとき、そこには、「明けない夜なんてない」というその言葉にケチをつけることで、「人生の夜」の最中にいるお先真っ暗な自分が、そのまま、そこに留まることを認めてしまっていたりはしないだろうか。
「明けない夜はない」なんていう言葉がまかり通っている世の中に迎合するくらいなら、私はこのアンダーグラウンドに留まっていたって構わない。そんな世の中こそが夜みたいにお先真っ暗で、そんな世界の中に生きる価値はない、というように。

 

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というようなことを踏まえたうえで、大森靖子さんの『ハンドメイドホーム』を聞いてみようと思う。
この曲には、このような歌詞がある。

 

夜があけて また夜がきても

 

冷静に考えると、この歌詞はおかしいのかもしれない。
夜が明ければ、普通は朝が来るものなのではないか。

『ハンドメイドホーム』は、「夜」の曲である。
上記の歌詞のように、この曲は、よく、「夜」について歌っている。
朝とか昼とか、太陽は出てこない。出てくるのは、夜であり、満月である。
しかし、同時に、上記の歌詞のように、この曲に出てくる「夜」は少し、他と違っている。

例えば、以下の歌詞を見てみよう。

 

金色の空 黒い満月
張りぼてのステージ 手づくりの夜
大好きな悪魔と引き裂かれ
王子様とキスをした


これは『ハンドメイドホーム』の歌い出しだ。『ハンドメイドホーム』では、歌い出しからさっそく「夜」が歌われている。

一見して分かるように、この歌い出しで歌われている「夜」はステージの上の夜なのだが、この夜は、色々とあべこべである。
空が金色で、満月が黒色。
そして、大好きなのは悪魔で、王子様ではない(一般的なおとぎ話では、大好きなのは王子様で、王子様とお姫様の間を引き裂くのが悪魔ではないのか)。

しかし、色々とあべこべのステージだが、最終的に、キスをするのは「王子様」であり、結末だけを取り出せば、この張りぼてのステージの上の物語は、一般的なおとぎ話とストーリーに何ら変わりはない。

色々な解釈ができるだろう。
この曲の主人公(以下、「私」と呼ぶことにする)が見に行ったステージが、悪魔を好きになってしまうお芝居だったのかもしれないし、「私」が、悪魔に引き裂かれて王子様とキスをするよくある物語を見て、「でも私は悪魔が好き」と、脳内で勝手にストーリーを書き換えているのかもしれない(その場合、金色の空 黒色の満月 という歌詞は、「私」の目にはステージがあべこべに映っているという暗示なのかもしれない)。

どちらにせよ、この曲は、既存のおとぎ話だって、いくらでも、あべこべにすることができるんだということを歌っている。ということができるだろう。
例え、これまで、何人のお姫様が、女の子が、王子様に恋をして、王子様のキスを夢見てきたからと言って、「私」が好きになるのは、王子様である必要はないのだと。

 

淡い水色 薄いパンフレット
ちょっと高すぎるきもするけれど
悪魔のひとが売ってたから
買っちゃった ウフフ 仕事がんばる

 

ステージが終わっても、そんな「私」だけの物語は続いて行く。
「私」は、そのお芝居?のパンフレットを悪魔(役の)ひとに売ってもらい、「ウフフ」とテンションを上げて、「仕事」という、「私」の日常へ戻って行く。
そして、下記のサビが始まる。

 

毎日も手づくりだよね
日記をかいて 花を飾って
夜があけて また夜がきても
大好きな歌で夢をみる
ハンドメイドシティANDハンドメイドホーム

 

これは、一番のサビに当たる歌詞だ。
一行目では、「毎日」が歌われ、三行目では「夜」が歌われている。

まず、最初に歌われている「毎日」は、「日記をかく」「花を飾る」といった、「つけたし」の行為だ。
一日が終わる前に日記をかく。
自分の部屋に花を飾ってみる。

別に日記をかかなくても一日は終わる。部屋に花がなくても生きて行ける。
それらはなくてもいい行為であり、どちらも、自分が「よし、やろう」「よし、書こう」と思わなければ始まらない。
しかし、それがあることで、一日が変わる。部屋が変わる。
そうした行為を通じて、昨日の続きとしての惰性の一日、惰性の部屋ではなく、新しい部屋が、新しい一日が生まれる。

「夜があけて また夜がきても」

この「夜」は、人生の暗闇の比喩なのかもしれないし、夜と夜の狭間を埋めるようにあっという間に過ぎて行く日々のことを歌っているのかもしれない。
どちらにせよ、それがどんな夜だとしても、「私」は、「大好きな歌」で「夢」をみることができる。「私」は、「歌」によって、忙殺される日々の間に横たわるただの睡眠時間、あるいは、望みが見えないような真っ暗な自分の今を、日記をかくように、花を飾るように、「夢」で彩ることができる。

 

ここで最初のJ-popの話に戻れば、この「夜があけて また夜がきても」という歌詞には、「明けない夜はない」という言葉は「やまない雨はない」という言葉とは異なる意味合いが感じられる。
すなわち、それは “Let it go”ではないということだ。「明けない夜はない」ことも「やまない雨はない」ことも、自然現象に人生を例えることで、「夜は(いつか・自然と)あけるものさ」というニュアンスを含んでいる。

しかし、『ハンドメイドホーム』は、「自然と明ける夜」を待つことではなく、まさしく、「夜」を「夢」でハンドメイドする。
そこには、毎日に溢れる様々な事柄、複雑じゃなくてもいいのに複雑になってしまう人間関係、前の仕事が終わる前に始まる次の仕事、など、思い通りに進まない日々に毎日を流され、押しつぶされる前に、毎日を自らの手に取り戻そうとする、そんなハンドメイドへの決意がある。

 

■anti惰性としてのハンドメイド


その後、始まる二番は、以下のように始まる。

惰性のにばん 君がいちばん
嫌いな言葉をわたし歌いたい
気持ちをおさえてできるだけ
たのしくするから嫌わないで

 

どこで文章を区切って解釈するかによって、意味が変わってくるとは思うのだが、
例えば、ここでは「君がいちばん 嫌いな言葉」を一つのまとまりとして捉えてみる。
「君がいちばん嫌いな言葉」を歌いたいとき、「私」はどうすればよいのだろうか
嫌いな言葉を歌って、君に嫌われればいいのか、あるいは君に我慢してもらえばいいのか。はたまた、いちばん歌いたい言葉を回避して、それに代わる二番目に歌いたい言葉を探せばよいのか。
「きっと君はこんな言葉は嫌いだよね、傷つくよね」といって、自分の気持ちを騙し騙しやって行けばよいのか。
各方面に気遣ってがんじがらめになって行く放送禁止用語のように、人を気遣って自分の言葉をほかのものに置き換えることは、自分の気持ちを不自由にする。
しかし、かといって、人が嫌いな言葉ばかりぶつけていたら、人はどんどん傷ついて行く。「私」は嫌われる。

だから「私」は、「できるだけたのしくする」から「嫌わないで」と歌う。
「たのしくする」こと。それは、例えば、禁じられた物語をそうとは分からないように暗示して物語る作家のように、自分の表現ができるだけ縮小されない形で、君に受けとってもらうための、「私」の最大の配慮であり挑戦であり作戦なのかもしれない。
「君」に聞いてもらうためには、「君」に楽しんでもらわなければならない。

一方で着目しておきたいのは、「私」が「気持ちをおさえて」と歌っていることだ。「気持ちをおさえて」というからには、「君がいちばん」嫌いな言葉は、「私」も嫌いなのかもしれない。
その言葉を歌う「私」には「嫌い」という気持ちが溢れていて、醜いものなのかもしれない。
しかし、それでも「私」はそれを「歌いたい」のだ。そして、それを「君」に聞いてもらいたいのだ。
だから、私は「嫌い」な言葉を歌うときに、それでも「嫌い」という気持ちをぐっと押さえつける。

ここにあるのは、歌を歌い、それを「君」に聞いてもらうために、「私」の何か(例えば気持ち)を削る、それでも歌を歌い続ける。そんな「私」の姿である。
一番で歌われていた「大好きな歌」を歌うという行為も、ただ甘い「夢」を見させてくれるようなものではなく、「夢」を作るために身を削る、そんな苦しみと背中合わせの行為なのだ。

そんな「私」の姿が歌われた後に、二番のサビで、以下のように歌われる。

 

毎日もうどうかしそうで
でもアイドルだって笑ってるし
ちょっとだけどうにかしようね
毎日は手づくりだよね

 

二番のサビで歌われるのは、「もうどうかしそう」な毎日を、それでもどうにかしようと足掻く、「私」である。
一番のサビは毎日を「どうにかする」ハンドメイドな行為(日記をかく、花を飾る、夢をみる)を歌っていた。
対して、二番のサビの前半にある「もうどうかしそう」は、そんな「ハンドメイドな行為」ができなくなりそうな瞬間のことではないだろうか。
「どうかしそう」
それは、(私には)どうにもできない。そんな、自分が日々の中に埋もれ、奪われてしまうような瞬間のことで、「自分」が埋もれ、奪われてしまっては、「ハンドメイド」をする「私」自身がいなくなってしまう。

二番のサビでは、最初に「私」を奪われそうなほど「どうかしそう」な日々が前半に歌われ、その後に、そうはさせまいと、アイドルの笑顔を見て、自分をどうにかしようとする=(自分を)「ハンドメイド」し、自分の手の届く範囲で、日々を少しでもどうにかにしようとする「私」の足掻きが描かれる。

一番が「私」に、「私」が毎日をハンドメイドするためのエネルギーをくれるような出来事(手づくりのステージを見ること)が描かれていたとすれば、二番の歌い出しやサビには、「私」が毎日をハンドメイドできなくなりそうな「どうかしそう」な日々や、ハンドメイドするために抑える気持ちなど、「私」の苦しみが一瞬、顔を出している。

 

■夜を掴みとる歌としての『ハンドメイドホーム』

そうした二番に続いて、下記のサビが歌われて、この曲は終わる。

 

毎日は手づくりだよね
ギターを弾いて 君を飾って
夜が明けて また夜がきても
大好きな歌で夢をみる
ハンドメイドシティANDハンドメイドホーム

 

この最後のサビには、「どうにかしそう」な苦しみの中で「毎日を手づくる」ために、ギターと、「私」の歌を聞く「君」に手を伸ばして「大好きな歌」を歌おうとする「私」の姿があるように思われる。

最後のサビは一番のサビに歌詞が似ているが、二行目以外に異なる点は、一行目の「毎日も」が、「毎日は」に変わっていることだ。
「は」も「も」も、主語となる言葉を取り立てる助詞だが、「も」が前に言及されていることがらを繰り返すときに用いられるものであるのに対し、「は」は新しい話題を持ち出す時に用いられる格助詞だ。

つまり、一番のサビが「毎日も手づくりだよね」と歌えるのは、前のAメロで、手づくりなステージの話をしているからなのであり、一番のサビは前のAメロ(見に行ったステージの話)がないと成り立ちにくい。

対して、「毎日は」と始まる最後のサビは、その四行だけで独立した文章として読むことができる。
最後のサビは、「仕事がんばる」と思えるきっかけがどこにもないような「どうにかしそうな」毎日が繰り返されている中においても、「(それでも)毎日は手づくりだ」と自分に言い聞かせるように始めることができる構造になっているのだ。

この曲の一番では、ハンドメイドなエネルギーをくれるステージのことが歌われているが、しかし、毎日毎日、ハンドメイドするためのエネルギーをくれるような出来事があるというわけでもない。
ステージを見に行く。それは非日常的な出来事だ。

しかし、『ハンドメイドホーム』は「アイドルだって笑ってるし」というように、日常的な生活の中でも、テレビの中に、インターネットの中に、自分の周りのどこかに、自分の日々を「ハンドメイド」に転じさせるようなきっかけを掴みだす。

そこにあるのは、いつか明ける夜を待つ受け身の姿勢ではなく、自分の力で、「明けない夜」を殴り倒し、次の夜もまた殴り倒し、また訪れる夜も殴り倒してはハンドメイドして花で飾り上げてしまうような、「ハンドメイド」という攻めの姿勢なのである。

『ハンドメイドホーム』が歌う夜は、決して、いつか明けることを待ってはいない。

この作品の中にあるのは、自然に夜が明けることではなく、明けるとか明けないとか考える前に、自分の手で夜を「ハンドメイド」して、その「夜」を誰かに与えられたものから、自分だけのものにしてしまうような、そんな力強い姿勢なのだ。

 

 

 

■一緒に聞きたいハロプロ

モーニング娘。「Hand made CITY」

 

モーニング娘。ライブ「Hand made CITY」Morning Musume LIVE Hand made CITY - YouTube

 

私が初めて『ハンドメイドホーム』を聞いた時、真っ先に頭に浮かんできたのはこの曲でした。
大森さんがこの曲をご存じないはずもないので、ぜひ、聞いてみていただきたいと思います。

 

この感想文のタイトルは、モーニング娘。の『恋愛レボリューション21』から。

 

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