ニワノトリ

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かわいさと浸食/東佳苗監督“Heavy Shabby Girl”の感想文?です。

黒宮れいさんの衣装について、一部、間違ったことを書いていたので、訂正させて頂きました。赤字部分です(2016/10/16)

 

2015年10月21日の夜に、渋谷のシネクイントで上映された「シブカル映画祭。with SPOTTED PRODUCTIONS」を見てきました。

 

shibukaru.com

 

一番の目当ては、縷縷夢兎というニットブランドの東佳苗さんが監督をした“Heavy Shabby Girl”でした。
私は大森靖子さんが好きなので、縷縷夢兎が大森さんの衣装を担当していたことをきっかけに東佳苗さんを知りました。8月に行われた個展で縷縷夢兎に興味を持って、そこで、シブカル映画祭。を知り、時間的に行ける!と思ってチケット取ったら、大森さんが主題歌で何かすごく得した気分でした。

 

 「シブカル映画祭。with SPOTTED PRODUCTIONS」は三本立てで、他の二作品もそれぞれ面白かったのですが、まずは、“Heavy Shabby Girl”の感想文を書いてみようと思います。

 

 

以下、ネタバレはあまりないように心掛けておりますが、あらすじなどに触れているのでご注意ください。

 

 

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一応、あらすじのようなものを書いておきますと……

 

“Heavy Shabby Girl”は、(約)15分という短い時間の中で、貧しさの隣で育った女の子と、富の中で生活している女の子の世界が交互に現れ、その二つの世界が、スマホSNS)の画面を通して、僅かな、だけど決定的な接触をして行く。
そんな映画でした。

 

もうちょっと詳しく書いてみますと……

この映画の主演である黒宮れいは、昼は川べりの段ボールハウスに出入りして、ホームレス(鳥肌実)と交流し、夜は狭くて雑然としたアパートに帰っては、一番上の姉の彼氏と二番目の姉がセックスをしているところを目撃する(風呂場でペヤングを食べながら)。みたいな毎日を送っています。彼女は家はどちらかといえば貧しくて、交流する相手はホームレス(もう一度言いますが、鳥肌実です)。この映画の中の黒宮れいは、いつも全身で貧しさというものに触れている。

一方で、もう一人の主演である来夢は、モデルをしていて、モデル仲間たちは常に、彼氏がカジノで一晩で1000万スッたとか、彼氏のロールスロイスがどうとかいう話をしています。きれいな顔をして、多くの女性の称賛を受けて、若くて、スタイルが良くて、お金持ちの彼氏がいて、彼女たちは「女」の持つ全ての富を持っている。
その中でも、最も富んでいるのが来夢で、というのも、彼女はモデル仲間との会話の中には入らないのですが、モデルたちの中でも最も美しい顔をしています。

 

大枠の設定としては多分、こんな感じで、大枠のストーリーといては、そんな正反対の二人の女の子の世界がどう交差するのか……? みたいなところが見どころだったりすると思う……。

 

……のですが、監督が東佳苗さんですので、映画の一番の見どころはプロットとか設定というよりは、女の子の表情であるとか、視線であるとか、台詞の飛び跳ね方だとか、衣装だとか、舞台装置だとか……そういう女の子たちを、どう、スクリーンに映すのか、世界観の描き方なんだと思います。

 

なので、ネットで文章を読むよりは、できれば映画館に足を運んだ方が良いかと思います(>検索でたどり着いた方)。(色んなところで上映されたらいいなと思います……)

 

**

 

 

□「かわいい」×「段ボールハウス」

 

これ以上書くとネタバレ過多になってしまいそうなのですが、一つだけ、私がすごく印象に残ったシーンについて書いておきたいと思います

 

 

 

それは、この映画の冒頭、黒宮れいが初めて登場するシーンです。

 

鳥肌実演じるホームレスの段ボールハウスが映し出されるのですが、そのホームレスの段ボールハウスが、縷縷夢兎仕様なんです。段ボールなのに、キラキラしているものが、編み込まれているんです。
色褪せた川べりで、段ボールハウスの一部だけが、なんかキラキラしている。

 

その「かわいい段ボールハウス」のカットを見て、縷縷夢兎の個展を見た時に、背筋がゾッとしたあの感覚を思い出しました。

 

niwanotori.hatenablog.com

 

 

というのも、私の頭の中には、「女性のホームレスは少ない」という知識がありました。
日本のホームレスは大半が男性で、女性はとても少ない。
それが、女性はホームレスにならずに済むということなのか。それとも、女性はホームレスになることすらできないということなのか。
……ということについては、このようなブログの片隅で議論を尽くせるようなことではありません。

 

しかし、とにかく、私の頭の中には「女性のホームレスは少ない」という知識がありました。
ホームレスになるのは殆ど男性であり、ホームレス≒男性の世界というイメージすらありました。
なのに、スクリーンには、「かわいい段ボールハウス」が映っていました。
あまり長くは映っていなかったので、よく観察できなかったのですが、キラキラとしたものが、段ボールを覆うように、段ボールハウスの壁に織り込まれていて、それは、私のイメージする「男性の世界」のものには見えませんでした。


「かわいい」×「段ボールハウス」。
そこに異様さを感じて私はゾッとして、そして、何より、その、かわいくて、キラキラしたものが、まるで植物のように、段ボールハウスの壁を這って、段ボールハウスを浸食しているように見えることに、ゾッとしました。
まるで、かわいさそのものが、生きていて、そこにある貧しさや、女性のホームレスが少ない(=女性の貧困が目に見えない)社会そのものを呪うように、段ボールの壁面を伝っているように見えました。

 

「かわいい段ボールハウス」をみて、私は、「かわいさ」というものの、境界線を浸食する不気味な力を見たような気になりました。「かわいい」は、色んな人が知らず知らずのうちに引いている境界線--例えば、ホームレスになる(ほど貧しくなる)のは男性で女性じゃないとか、段ボールは汚いものでかわいいものじゃないとか--を浸食して、そこにないはずのもの(あるいは、あるはずなのに見えなくなっているもの)を顕在化させてしまう……そんな呪いみたいな力を持っているのかもしれないなと思います。

ぜひ、たくさんの人にあの段ボールハウスを見てもらいたいし、見てどう思うのかが知りたいです……。

 

**

 

縷縷夢兎の服が「ニット」でできているからなのか、私は、縷縷夢兎を見ると、いつも、血管とか、植物を思い出します。縷縷夢兎の服が、その人の身体を覆っているのではなく、その服を着る人の身体と一体化してしまっているような……もっといえば、その人の身体そのものを形成しているような。そう言う風に見えるんです。

縷縷夢兎の服を見ていると、「かわいさ」とは、自分を装うためのものなのではなく、自分の中身をさらけ出すものなのであり、「服を着る」とは、身体を覆い隠すことではなく、自分の内側の欲望をさらけ出すものなのだということを思い知らされます。
そして、更に。縷縷夢兎の服は、そうした曝け出された欲望によって、自分を取り囲む空間をも、かわいく、生々しいものに変えてしまう、そんな力があるように思います。

 

“Heavy Shabby Girl”に出て来る黒宮れいは、縷縷夢兎のニットこそ着ていなかったのですが*、それこそ、伸ばした髪の一本一本、髪の毛に着けた赤いゴム、黒いセーラー服、睨みつける睫、一つひとつの台詞、もう、彼女を形成するすべてのものが彼女の身体そのものなんじゃないかというくらい、全てに力がみなぎっていて、すごく縷縷夢兎だと思いまいた。

*黒宮れいさんは、劇中で縷縷夢兎を着ているそうです!!!!! 以下の通り、東佳苗監督ご本人にご指摘いただきました。こんな大切で重要な部分について、誤情報を書いてしまって本当に本当に申し訳ありません。訂正させて頂きます。(2016/10/16追記)

 

 

東佳苗さんという人は、一人の女の子の内側にあるものを、そのままひっくり返して、表側に出すような、そんなことができる人なんじゃないかと、そんなことを感じられる映画でした。

東佳苗さんは今後も長編映画を撮る予定があるそうなので、この次にどんな展開が待っているのか、とても楽しみです。

 

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