ニワノトリ

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青柳カヲル"THE LAST LIVE"を見た人の手記ブログ(6)

2020年8月14日6時00分(PM)

思えば、2020年の夏に見た青柳カヲルの絵や彼女が関わった作品には、死と再生のテーマについてよく考えさせられました。

 

youtu.be

 

2020年8月14日、大久保薫のソロプロジェクト “奇妙•<>•関係(キミョウナカンケイ)” の第一弾 “AIandI feat.ゆある × 大森靖子 × 大久保 薫”が公開されました。
このMVで青柳カヲルは絵を担当しています。僕は、このプロジェクトの中に、青柳カヲルの作品における “(再)生”のテーマを重ねて見ることができる気がしています。

例えばこのMVには青柳カヲルがこのプロジェクトのために描いた絵と共に、青柳が以前描いた絵のリライトも使用されています。それは、青柳カヲルの絵の一種の 'Reborn'と言えるのではないでしょうか。

 

 

また、僕は“アダムの創造”を思わせる絵や、宇宙の誕生を思わせる歌詞から、このプロジェクトのテーマ(の一つ)として “創世記”があるのだろうと想像しました。

 

 

しかし、これが “創世記”なのだとして、それではこのMVの初めで肋骨から羽のような赤い花を咲かせている(ように見える)アダム(??)を作ったのは果たして誰なのでしょうか。アダムに手を伸ばし、生命を吹き込もうとしているのは神ではなくイヴ(??)であるようにも見えますし、あの脳のような赤い布の代わりに二人の背後には宇宙が広がり、指の間には星のような球体から破れ落ちた光の屑が流れて行きます。
製図された宇宙、肋骨から創られた人体、ウィトルウィウス的人体図のように重なる身体、AIという生命、その創り主、“AIandI”そして “奇妙•<>•関係”という並列のタイトル。それらは僕に様々なことを想像させました。例えばアダムに生命を吹き込むのが、父なる創り主ではなく、アダムの肋骨から創り出されたイヴだとしたらどうでしょうか。アダムの身体を食い破るように咲く花は、アダムの身体から生まれたイヴこそが、アダムの肉体の所在、その生々しい血と肉の色を彼自身に知らしめることを教えているのかもしれません。

 

このMVの後に “Living Doll”が公開され青柳カヲルが顔出しをしたので、僕はこのMVに描かれた"創世記"に、“Living iDoll”から “Living Doll”へ、そして、青山羊から青柳カヲルへという移行を重ね合わせてしまいました。

 

私が光? 私が希望? 私が魔法? アホかただの血と肉の塊

 

この歌詞を聞きながら、僕は「光あれ」という父の呼び声と「光である」ことの狭間、「アイドル(偶像)であれ」という運命と「アイドル(偶像)である」ことの狭間、「絵を描く」衝動と、「絵描きである」ことの狭間。その間隙に取り残された身体のことを考えました。“Living iDoll”から “Living Doll”へ。そこに浮かび上がるのは、授けられたiDが失われたとてそこに残り続ける肉体そのものなのではないでしょうか。そして、その肉体から生まれ出たものこそが、自分の身体に流れる血と肉の色を「私」に教え、「私」の身体に生命を刻み付けるのです。