ニワノトリ

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青柳カヲル"THE LAST LIVE"を見た人の手記ブログ(8)

僕にとって、青柳カヲルの絵とは観るものであると同時に着るものでもありました。青柳カヲルは個展 “Living iDoll”、WEBSHOP “BaphoMessiah”、 “感情の絵日記”として一日限りのドローイングを365日発売し続けた “Day Dream Drawing”などを通して絵を売ってきましたが、同時に、比較的安価で手にすることができるTシャツも多く手掛けてきました。情けないことに僕は上記のどの試みでも彼女の絵を買うことができなかったのですが、Tシャツは買うことができました。

青柳が手掛けたTシャツには、大きく分けて、アーティストやアイドルのグッズとして発売されたものと、彼女自身のオリジナルグッズとして発売されたものの二種類があります。そのどちらであれ、彼女のデザインには、それがどこでどのような身体に纏われるのか場所と身体に対するイメージが織り込まれているのが特徴です。ライブという非日常で、あるいはコロナ禍の日常生活で。どのような意識を持って身体はそこにあるのか。青柳カヲルのTシャツデザインには、それを纏おうとする一人ひとりの意識を、その身体をもって可視化させようとするところがありました*1

 

僕のスマホのカメラロールを辿ると、青柳カヲルが手掛けたTシャツを着ている僕の写真が何枚も見つかります。僕はそれをSNSに投稿したこともありました。

 

2020年12月31日

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GothGirl [青柳カヲルデザインTシャツ]

2020年6月10日 

 

 2019年11月13日

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意識高いT2019[青柳カヲルデザインTシャツ] 大森靖子47都道府県ツアー"ハンドメイド・シンガイア" グッズ

 

 2017年5月3日

  

2016年11月18日

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意識高いT2016[青柳カヲルデザインTシャツ] 大森靖子ライブツアー "SHIN TOKYO BLACK HOLE 2016" グッズ

 

ここに写っているのは青柳カヲルのTシャツです。しかし、同時に青柳のTシャツを着た僕の身体でもあります。大きめのサイズ、できるだけ肌が映らないよう、ズームされた画角。自分の身体の線を追いたくない、何を合わせたら様になるのか分からないからTシャツ以外を映したくない――そこには、自分の身体やセンスを隠したくて隠したくて仕方がない僕の「意識」も映し出されています。

僕はこの手記を書きながら、彼女のTシャツを振り返るとともに、僕が撮す/せない僕自身の身体を振り返り、眺めることになりました。スマホのカメラロールに残る僕自身の写真はTシャツを着たものばかりです。僕は僕の身体があまり好きじゃないから、これらのTシャツを着なければ、この身体を写真にとり、あまつさえSNSにアップすることもなかったのでしょう。

よくよく思い出すと、初めて彼女のTシャツを買った5年前、その頃の僕はまだ自分の身体のこととかよく考えておらず、「青柳カヲルのTシャツ」を手に入れたことそれ自体がとても嬉しくて、何も気にせず写真を撮ってSNSにアップしたのでした。出会った時からずっと、彼女のTシャツは僕の身体を映す回路でした。彼女の手掛けたTシャツが僕の身体の傍にあり続けるのなら、僕は少しずつ、僕の身体に歩み寄って行くこともできるのかもしれません。この “副次的な、しかし切り離せない現実”*2としての僕の身体に。

 

2015年11月1日 

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A Walking Girl  [青柳カヲルデザインTシャツ]

*1:それは、青柳カヲルが大森靖子のグッズ「意識高いT」を原点と呼んでいたこととも関係あるのかもしれません。(6月4日の青柳カヲルのツイート参照 https://twitter.com/kaoru_aoyagi/status/1136003361428332545

*2:青柳カヲルnote, "なぜ顔出しをしたのか," https://note.com/kaoruaoyagi/n/neebc38da5741