ニワノトリ

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INGは物語を凌駕する/大森靖子「絶対絶望絶好調」@『洗脳』の感想

大森靖子『洗脳』

大森靖子さん、一枚目のメジャーアルバム『洗脳』が発売になりました。

 

 

今回は、その一曲目である『絶対絶望絶好調』の感想を書きたいと思います。

◇大森さん感想シリーズLINK◇
※「きゅるきゅる」など → 『洗脳』関連感想シリーズ

※『絶対少女』→ 『絶対少女』感想シリーズ
※『魔法が使えないなら死にたい』→ 『魔法が使えないなら死にたい』感想シリーズ

 

※理屈っぽい私を見かねて友人が書いたエッセイは こちら

 

■世界を面白くするために、「愛してる」というラブレターを否定する。

 


大森靖子「絶対絶望絶好調」MusicClip - YouTube

 

 

『絶対絶望絶好調』はこのような台詞から始まる。

 

愛してるなんてつまらないラブレター マジやめてね
世界はもっと面白いはずでしょ

 

今まで、どれだけのJ-popが「愛してる」というラブレターを巡って歌を歌ってきたんだろう。
お前に伝えたい「愛してる」、素直にいえない「愛してる」、今だから言いたい「愛してる」、夢の中だから言える「愛してる」……
お前だけに伝えたいとか、ウソだろ? というくらいに、J-popには「愛してる」が蔓延している。
そんな飽和する「愛してる」に異議を唱えるJ-popだって、たくさん生まれてきた。

 

「愛してる」の否定。
そういう観点からだけ見れば、上記の『絶対絶望絶好調』の台詞は、決して新しいとは言えないのかもしれない。
しかし、この台詞は、「愛してる」の飽和に対して、「私の君への愛は巷で歌われている愛なんかとは違う」とか、「愛ってそんなに簡単なものじゃない」、とか、そういうことを言っているんじゃない。

 

そんなの「つまらない」、「世界はもっと面白い」

 

愛を独り占めするためにではなく、もっと、世界を面白くするために、「愛してる」というラブレターを否定しているのだ。

 

このアルバムは世界を閉ざすためにではなく、世界を開くために、面白くするための一言と共に幕を開ける。


大森靖子がメジャーに放つ一枚目のアルバム『洗脳』、の一曲目「絶対絶望絶好調」、の歌い出し。

 

 愛してるなんてつまらないラブレター マジやめてね
世界はもっと面白いはずでしょ

 

このフレーズは、今まで大森靖子を知らなかった人を招き入れるように、大口を開けて、CDが再生される瞬間を、今か今かと待っている。


■「あなたを嫌いでいる私」という現在進行形の始まり

 

絶対絶望絶好調のサビは、以下のようなものだ。

絶対絶望絶好調 ごめんね素直にしか言えなくて
さよなら あんなに好きだったけど
きれい きもい きらい


このフレーズの中にも出てくるように、この曲には、「好き」と「きらい」が歌われている。
『絶対絶望絶好調』が歌う、「好き」「きらい」とは、いったい、どのようなものだろう。


誰かに対する「好き」とか「きらい」とかいう気持ちを表明したり、自覚したりするとき、その瞬間から、私たちはその前に巻き戻ることができなくなる。
あなたが好きですと告白した瞬間。
あ、私、あの人のこと嫌いだわ。と自覚した瞬間。
そうした瞬間に、「あなたを好きじゃなかった私」や「あの人が嫌いだった私」を過去に置き去りにして、「あなたを好きでいる私」「あなたを嫌いでいる私」という現在進行形が始まる。

 

「さよなら あんなに好きだったけど」

 

誰かを「きらい」になるとは、さよならを言うということだ。
「あなた」だけにではない。「あなた」を好きだった頃の「私」にも、さよならを言わなければならない。
あなたにメールするのが当たり前だった日常。祝うつもりだったあなたの誕生日。思い出すのが楽しかったあなたとの思い出。
「きらい」という感情は、そうした日常、予定、思い出全部ひっくるめて、「あなたを好きだった私」を「私」から切り離す。
切り離されたものは、もう二度と元には戻らない。
「きらい」になるとは、そういう、もう「二度と元に戻らない」ことを受け入れる覚悟を決めるということだ。
「きらい」あるいは「すき」
それは、私の時間を前と後にすっぱりと分けてしまうほどに、絶対的な感情だ。
その感情を肯定するとき、私の中には、そこにあるのは後戻りできない絶望と、そんな絶対的なことを宣言できてしまう絶好調な無双モード状態、双方が同居しているのではないだろうか。

 


決して後戻りのできない絶対的な感情。
だから、私たちは時に、人をきらいになったりすきになったりすることに、素直になれない。
夢中になってしまったアイドルも、何をきっかけに飽きるのか分からない。キモくて大嫌いな彼氏も、頭がいいから、将来出世して金持ちになるかもしれない。別れたことを後悔するかもしれない。
誰かを好きになっても、嫌いになっても、そんな打算的な考えが頭を掠めたりする。
「永遠にすき」「永遠にきらい」なんて、誰にも保証できない。
それを知っている頭は、「私」の感情の絶対性を疑って「一旦落ち着け」「落ち着いて考えるんだ、本当にその人が好きなのか?」と自分に問いかけ、統制を取ろうとする。

 

しかし、『絶対絶望絶好調』は、そんなリスク計算を吹っ飛ばすように、高速で「きらい」にたどり着く。
「きれい → きもい → きらい」の三段活用。
この曲は、「好きだった」過去をあっという間に置き去りにして、今、沸騰するように浮かぶ「きらい」という気持ちにフリーライドして、そのまま突き進んで行く。

 

■振り返る前に、現在を進める

 

 絶対絶望絶好調 ごめんね素直にしか言えなくて
 さよなら あんなに好きだったけどなんちゃってね
 絶対会えない白血球 ごめんね地雷だったかもしんないよ
 さよなら なんてね
 ただの口癖よ そばにいて

 

好きなの? きらいなの? 「どっちだよ」と言いたくなるこの支離滅裂さ。
しかし、この支離滅裂さは、裏を返せば、その瞬間、瞬間の感情に素直であり、忠実であるということなんじゃないか。

そもそも、私という一人の人間が、最初から最後までずっと、何かを一貫して持ち続けるなんてありえない。あの人が好きな日があれば、嫌いな日もあるだろう。あの人が一生好きな日もあれば、あの人が一生嫌いな日もあるだろう。
その時、その時で、「私」は変わる。

 

例えば、「お母さん、お父さんに告白されるまで、お父さんに興味なかったんだけど、よく考えたら、出会った時、気になる存在ではあったのよね」などというストーリーがあったとして。
「よくよく考えたら最初から好きだったのよねー」という、「最初からお父さんのこと好きだった」ストーリーは、後から作り出されたものだ。
振り返っているから、「お父さんが好きだと自覚する前からお母さんはお父さんを好きだった」という事実を想定して、勝手に作り出すことができる。
現在進行形のただなかにおいては、そんな一貫した物語はありえない。
「ずっと好きだった」はあり得なくて、好きだったり、好きじゃなかったり。
そこにはマダラが存在しているはずだ。

 

『絶対絶望絶好調』という曲は、「ずっと好きだった」というような、一貫した物語を、現在進行形の感情でもって否定する。

 

犯人探しの後半 真実なんてキモいから
ところどころでどっかーん 魔法とか夢とか愛とかキラキラ
人生なんて約束なんて 知らなくたって歌いたい

 

例えば、コナンくんは真実を解き明かしては、おっちゃんの声で、「あの時のあなたのあの行動は、このトリックのためのものだったんですよ」と、よく分からない謎(ミステリー)に一貫した説明をつけてくれる。
そして、「約束」は、私の将来を一つの地点に集約させて行く。

 

犯人が解き明かされることだとか、約束だとか。
『絶対絶望絶好調』は、そうした、一つの結末に向かって紡がれる一直線の物語に興味はない。
そういうものを、どっかーんと、爆発させて、魔法とか夢とか、もっと、キラキラしたものに入れ替える。
魔法も夢も愛も、首尾一貫した説明のできないもので、コナンくんの推理力では解き明かせない、不条理なものだ。
『絶対絶望絶好調』は、瞬間にあるものだけを追い求めていて、後先のことなんて知らない。
この曲は、目の前にあるキラキラだけを信じていて、自分の今の感情を客観的に説明したり、理由づけしようなんて考えてない。
ただただ、その時々の欲望が、感情が、がどっかーんとどっかーんと爆発するばかりだ。


■いつか訪れる「さよなら」を待たずに

しかし、一度だけ、この曲が、「瞬間」よりも、「物語」を選び取ろうとしているようにも見える瞬間がある。

 

絶対絶望絶好調 あんなにかわいかったのにとか言わないで
さよなら いつの間にかいつもさよなら

 

上記の歌詞の「いつの間にかいつもさよなら」が、それである。

 


自分で「さよなら」を言おうというまいと、どこかで必ず「さよなら」は言わなくてはならない。私達の先に死が決定づけられている限り、どこかに必ず「さよなら」が訪れる。
「すき」とか「きらい」とか。
沸騰するように、現在進行形で私を支配している感情にも、いつかは必ず「さよなら」を言わなければならなくなる瞬間が必ずやってくるのだ。

 

今、この瞬間に何が始まろうと、それは始まった瞬間に「さよなら」という一貫したストーリーの一部になることが決定づけられる。

 

「いつの間にかいつもさよなら」


という歌詞を歌う『絶対絶望絶好調』という曲は、「今ある感情」を歌い上げながらも、それがいつか終わることを知っているのだ。
「いつの間にか いつもさよなら」
この歌詞には、今を絶対的に支配する感情にも、いつか必ずさよならを言わなければならないという運命に対するチリチリとした痛みが見え隠れする。

 

しかし、この曲は、そんな「終わり」を悟った視線の後にもう一度、

 

絶対絶望絶好調 ごめんね素直にしか言えなくて
さよなら あんなに好きだったけど
きれい きもい きらい

 

と歌う。
ここで、『絶対絶望絶好調』は、「いつの間にか」ではなく、「今」さよならを言っている。
いつか必ず「さよなら」が訪れるとしても、その運命に対する悲しみに負けて、たそがれた目をしてこの世を憂いていても仕方がない。
『絶対絶望絶好調』は、いつか自然にやってくる「さよなら」を待つのではなく、自分で「さよなら」を言うことで、自らの手で「好き」という気持ちを切断し、「好き」の現在進行形から「きらい」の現在進行形へと足を踏み入れるのである。

 

『絶対絶望絶好調』は、そうやって人生の速度を上げることで、「さよなら」という運命に負ける前に、今の感情を肯定して、「さよなら」を言う。
『絶対絶望絶好調』は、運命に手綱を握られる前に、自分の感情にスピーディに乗っかり、予定調和を破壊するように、自分で「さよなら」を宣言し、自分で「さよなら」「きらい」「好き」を形作るのだ。


『絶対絶望絶好調』は、「さよなら」の痛みすら振り切って、私をもっと生きやすく、楽しくさせるために、その感情の瞬間の絶対性を抱きしめて、走り続けている。

 

 

 

 

 

■あとがき

 

『絶対絶望絶好調』を聞いて、大森さんの作っているのは、物語を凌駕するような音楽だなって思いました。

物語を語る口では舌が追いつかないというか。
あー、頭で聞いてちゃだめなんだって。

『洗脳』というアルバムで、痛感しました。

 

私は、『洗脳』というアルバムは「説明」や「筋書」を必要としていないし、拒否していると感じました。
言葉より、理屈より、共感を。そして、共振する感性を。
求めているんだと思いました。

『洗脳』は聞く人によって、色々な色に形を変えて、それぞれの脳の形に添って脳を洗いきってしまうのだと思います。

だから、理屈っぽい私の言葉ではどうしても追いつけないし、何もつかめないとも感じました。『絶対絶望絶好調』みたいな、キティさんみたいな、感性が欲しい……女の子になりたい……足掻いてみたい……。

 

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物語を拒否する現在進行形の曲と言えば私の中でこの曲。

 

 


宇多田ヒカル - traveling - YouTube

 

"traveling"を聞いていた頃、私はまだティーネイジャーでしたが、当時の私は"traveling"みたいな女の子にあこがれていました。

それから10年。未だに、"絶対絶望絶好調"を聞いて、あー、こういう曲を歌える感性が欲しいと、思ってしまう。
そんな現状を顧みて、ああ、私はあのころから何も変わっていな いな、と思うと同時に、あの頃にはどうせ無駄だと思ってあきらめていたものを、今度こそはあきらめたくないとも思います。年甲斐もなく。

ハリエンタルラジオでメールを読んでいただいたとき(ラジオでメールが読まれるのは初めてでした、嬉しかったです)、でか美さんに、この子は20代前半なのではないかと推測していただいたのですが(メールが読まれた直後に、「私もその気持ち分かるよ」と具体的なエピソードを交えつつ共感を示してくださって、頭の回転の速さにビビりました。さすがもも推し……)、私は、残念ながら、もはや20代前半とかではないのです……。